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犬・猫・ペットの治療と予防│リリー動物病院

院長コラム

今年は、元旦早々から良いお仕事をさせて頂きました。

 当院は、年末から1月2日~4日出産予定のワンちゃんを抱えておりました。
 途中エコーの検査で、胎児の心拍数が少なかったり、お母さん犬が低カルシウム血症(カルシウムが低いと陣痛が起きないのです。)だったりしましたが、去年最後の診察日(30日)には、それらも大体改善してました。
 「安産だといいですね!」と飼い主様とお話してはいましたが、一応帝王切開になった時の為にと、お休み前に当番を決めました。

 帝王切開は、術者の私の他に助手、手術中のモニター係り(モニターを見ながら、患者さんが急変したら治療する役)、取り出した赤ちゃん犬の甦生係り(赤ちゃんをマッサージしたり、ヘソの尾を紐で縛ったり、身体を暖めたり・・・で結構忙しいのです。)で、4人前後は必要になります。

 31日の夜、飼い主様との電話のやり取りで、「破水して1時間以上経っても、産む気配なし。」との事でしたので、急いでスタッフ全員に連絡網のメールをして、待機するよう指示しました。
 病院に着いて直ぐに、陣痛促進剤をうってお産の介助を試みましたが、やはり赤ちゃん達は出てくれず・・・結局帝王切開に踏み切りました。
 取り出した時には、生憎2頭の子は亡くなってましたが、残り2頭は産声を上げ・・・元旦の未明に元気で2頭の赤ちゃんは帰宅しました。(うち1頭は、少し弱い子でしたので、当院で一時間マッサージをした後、朝まで飼い主様達が交替でずっとマッサージをして下さっていたとの事でした!Kさんご一家さま、どうもお疲れさまでしたm(_ _)m。)

 実のところ・・・当番のAさんはデートの真っ最中だったのですが、メールの後、急遽病院に直行してくれ、そして一緒に彼も来てくれたので、ついでに彼に甦生のお手伝いもして頂きました(S君、ありがとねぇ~!!)。
 無事に終って後片付けをしていた時、Bさんが、「本当は、彼が『大晦日は一緒に過ごそうね・・・。』と楽しみにしてくれてたんですよね・・・。彼に悪くって・・・。」とちょっと泣きそうな顔で?言い出しました。
 「そうかぁ~・・・。」と私・・・。
 彼女の話を聞いて、この15年間の色んな事が走馬灯の様に思い起こされました。

 そうなんですよね~・・・。
 この仕事、いつも・・・と言う訳ではないのだけど、結構自分の予定が狂う場面ってあるんですね~。
 三人の子供達と私の友達親子とで旅行に行って、土曜日の夜遅くに現地に着いた途端、入院中のワンちゃんの具合が急に悪くなったので、朝一で引き換えしたり、家族旅行で私だけ途中で帰ったり・・・と、何度子供達にごめんなさいをしたことか解かりません。
 それでも、彼らは幼心に「これは仕事だから仕方ないのだ。」と割り切ってくれていたようで、誰一人として、文句を言った子はいませんでしたね~・・・。
 十年くらい前になりますが、ある土曜日の夕方、子供達三人を車に乗せて帰宅しようとしていたら、また急患が入り、彼らに言った事がありました。
 「みんなだってさぁ~・・・・。ケンが死にそうになったら、やっぱり直ぐに診て欲しいって思うよね! 死んだら嫌だよね~・・・。だって死ぬってことはもう逢えないって事なんだもん・・・・。みんなごめんね~・・・。」と。
 後で考えたら、そうやって何気に子供達を洗脳してたのかも知れませんが・・・(苦笑)。

 でも、今では反抗期バリバリの彼らですが、その件に関しては愚図った事は一度もなく、いつも黙って受け止めてくれていたので、本当に感謝しています。

 そう・・・。
 私の病院に限らず、命を預かっている仕事に就いている人達はこういう場面に結構遭遇するのではないかと思います。

 今回も、そうですねぇ~・・・・。
 大晦日だったし、「確かに無事安産だったらな~・・・。」と思わなかったか?と言うと、それを願ったのも事実ですが、出てきた赤ちゃんを見ると、やはり深夜とは言え、疲れは吹っ飛びましたね~!!

 
 次の日、彼と大晦日に一緒に過ごす事が出来なかったBさんに一斉メール(院内のスタッフの一斉メール)で、「本当にこの間は悪かったね・・・。また今度ゆっくり話そうね!」と謝りました。
 するとAさんが「仕事だから解かっていますよ。」と言ってくれました。
 そしてその後 「マジに大変だけど、その後での喜びを考えたら、この仕事は辞められませんわ~!」と、Bさんが嬉しいメールを送ってくれました。
 確かに大変な場面もありますが、良いスタッフに恵まれて、私は本当に感謝しています。

 何はともあれ、「ほら、この通り! この写真は外の世界に出て、まだ5日目ですが、私達が取り出した赤ちゃんです!こんなに大きくなりました!!」

 やっぱ、辞められないかな~・・・・。この仕事・・・。
 うまく心と身体のバランスを虎(取ら)なくっちゃ~ねぇ!!ですね・・・。

☆今月オススメのDVD;「しゃべれども しゃべれども」・・・国分太一主演の邦画です。心が温かくなりました。
☆今観たいDVD;「黄色い涙」・・・長嶋慎二原作 高校時代に読んだ漫画の映画化です。
☆オススメの中華料理店・・・名鉄半田口の駅東 「まんどう紅」・・・手軽な価格で味もよし!です。 

 今年も皆様と皆様の大事な動物さん達のご健康を心よりお祈り申し上げます(^^)!

2010年 1月 12日 掲載

11月も、やはり忙しかったです。

●14日・15日は、「師温会」と言う鍼灸の勉強会に、この度初めて入れて頂き、とても充実した二日間を過ごしました。
 6年前に発足した「中医学研究会」(獣医の鍼灸の勉強会)の講師をして下さる山内健志先生(東京都杉並区開業)も「師温会」の講師のお一人であり、その他の講師の先生方もすごい方ばかりで、感激して帰ってきました。

 その時私は、“まな板の鯉”になりまして、患者として皆様の前で先生方に治療して頂き、貴重な体験をさせて頂きました。自ら名乗り出たとは言え、超恥ずかしかったです・・・。忘れなければ後日その時の様子をご報告させて頂きますね!

●28日、半田市倫理法人会の50社・100社モーニングセミナーがあり、日間賀島を日本一の観光の島にした中山勝秀古氏を招いて、朝6時半より総勢152名の方に来て頂きました。
 このコラムを見てくださっている方で、出席して下さった方がお見えでしたら、心からお礼申し上げますm(_ _)m。

●そしてその夜、大学時代の同級生の経営するふるはし動物病院(尾西市)にて、午後8時半より、なりた犬猫病院院長が講演する「門脈シャント」の勉強会がありました。
 「正しい診断と早期発見がいかに大事か。」という事を学び、とても勉強になりました。

 その後、古橋君のお宅で成田先生と共にお茶をご馳走になり・・・。
 同級生三人が揃って話をしたのは実は初めてだったのですが、ついついよもやま話に花が咲き・・・気が付いたら2時を回ってました。
 美味しいお紅茶とケーキ、そして素敵な奥様に感激~!!でした。

●今日(29日)は、お墓参りに行ってきました。
 ひと月に一回しか行けてませんが、不思議なことに、行くと気持ちが落ち着くんですね~・・・。
 お墓にいる間ずっと、「ホ・オポノポノ」の「ありがとう。愛してます。ごめんなさい。許してください。」が頭の中をぐるぐるしてました。
 昨夜ふるはし動物病院に向かう途中でずっとかけていたDVDの影響でしょうか・・・?!(これで、私の潜在意識はゼロになりました。ホ・オポノポノをご存知でない方はこの意味がお解かりにならないと思いますが・・・。)

 そうそう・・・まだ学ばせて頂いて4ヶ月そこそこですが、倫理法人会でも「今の自分があるのは両親やご先祖さまのお陰」と言うことで、墓参りを薦めている方が多いです。
 おそらく数ある経営者の勉強会で、墓参りを薦める会は珍しいのでは?と、いつも思います。

そんな訳で・・・久々にコラムを書かせて頂きました。
今読み返してみて、やっぱりちょっと?変な獣医かも??と思いました(笑)。
でも、お陰様で、毎日充実しています!
日々の出会いに感謝です(^^)!

2009年 11月 30日 掲載

 ここんとこずっと忙しくて、大好きな映画を観る暇もとんとなかったが、先日久々にゲオで 『僕はラジオ』を借りてきた。
 これは何度か借りて来ては観る事が出来ずにまた返す・・・を繰り返してきたDVDである。
 数年前にも長男に頼んで借りてきた事があり、彼はこれを観て「母さん、観や~!(観たら?!と言う意味です。)マジに良かったよ!」と言っていたのを思い出し、今回また借りてきたのだ。
 さっき、観終えたが、う~~ん、やっぱり長男が言ったとおり感激した。
 実話に基づいて作られたものだが、観た後何だかとても優しい気持ちになった。
 「正しいと思った事を続ける。」と言うのは、実は結構大変な事なのかも知れないが、このラグビーの監督の様な生き方が出来たら本当に素敵だな~・・・!と思った。

 終ってから何気にケーブルテレビの映画をつけたが最後・・・・今度はその映画にはまってしまった。
 タイトルは『シンドラーのリスト』と言うこれもまた実話に基づいた社会派映画である。
 途中から観たのだが、ナチの時代にオスカー・シンドラーと言う人が、1100人のユダヤ人を救った話を映画化したものである。
 その映画をつけた時は、暗くて残虐なシーンだったので、一旦チャンネルを変えようかと思ったが、最後まで観てよかったと思う。

 クライマックスのユダヤ人達とオスカー・シンドラーとの別れのシーンで、「もっと努力すれば自分はもっと多くのユダヤ人を助ける事が出来たのに・・・・。」と悔やんで泣くオスカー・シンドラーに、ユダヤ人の一人が「一つの命を救う人が、世界を救える。」と言っていた。
 最後は、実際オスカーに助けてもらった人達が、孫や子供達に付き添われながらオスカーのお墓をみんなでお参りして、その映画は終った。
 今、これだけ平和になると(実際今でも戦争はあるのだが。)、そんな事があったなんて、信じられないような気がするが、やはり私達で同じ過ちをしないようにしなくてはならないんだろうな~・・・と思った。

 ・・・・と、ここまで書くと、いかにも私は虫一匹も殺せない優しい人間だと言っているようでとても心苦しい。
 なので、懺悔と共に暴露すると・・・実はこの一~二ヶ月の間、ムサシを散歩した後、ムサシの水のみ場の近くで、毎朝元気なムカデの赤ちゃんを何匹か見つけては殺していた。
 ある時は、でっかいお母さんムカデも・・・。(ごめんなさい・・・。)

 「生きてるだけで罪である。」とはよく言うが、それ以外だって屠殺した動物達を食べて大きくなったんだし・・・だからこそ、「良いかもしれない!」と言う事は、何でもやんなきゃならないんだろうな~・・・。と改めて思った。

 ところで、最後は 「あ~・・・、映画って本当に良いですね~・・・!」と言う台詞で、このコラムを閉めようと思っていたのだが、「うちの若いスタッフ達に言ってもわかんないだろうな~・・・。」と思って止めた。
 この間も、今言うカップルの事をアベックって言ったら、鳥居さんにめちゃくちゃ笑われたし・・・。
 最近やたら、こういう事が多くて困ります。
 何とかギャップってやつなんでしょうかね~・・・・。

2009年 9月 05日 掲載

 5月のある日、月一の鍼灸の勉強会があり、ある事で悩んでいた私は、校條(めんじょう)先生にご相談したところ、『倫理法人会』(http://blog.goo.ne.jp/rinri-handa)と言う経営者の勉強会に入るよう勧められた。

 早速、門を叩きその勉強会に入れて頂いたのだが、『半田市倫理法人会』は土曜日の朝6時半からあり、その後開設された『知多岬準倫理法人会』は日曜日のこれまた6時半からあり・・・この4月から高校へ入学した次男の弁当作りが始まった私としては、結構きついものもあったが、毎回セミナーを受けるうちに、とても有意義で素晴らしい会であるという感想を今持っている。(ただ、セミナーでいくら良い話をお聞きしてもそれを実践しなくては意味がない訳であり・・・深省する毎日である。)

 遅くまで仕事をしている事が決して偉いとは思わないが、仕事の性質上やはりいつも帰りが遅くなり、愚痴一つこぼさずについて来てくれるスタッフ達や家族に感謝しつつ、仕事に追われている。

 私が一番していない事は家事であろうか・・・。。。
 開業してからと言うもの、最初の9年間は休日以外は母が家族の晩ご飯を作ってくれ、今は夫がその役目を果たしてくれている。
 私はと言えば、休日の週に一~二回だけ晩御飯を作り、実質朝ご飯とお弁当作りだけの母親である。
 とっちらかった家を見る度に、もっと気持ち良い空間に家族を置いてあげたいと思うのだが、休日はやはり仕事か他の用事が入り・・・家族に申し訳ない気持ちで日々過ごしている。(玄関とトイレくらいかな~・・・。きれいなのは・・・。)

 有り難い事に?、我が子達もしっかり反抗期に入ってくれているので、たまに「ギャフン!」と来るような事を言われる事もあるが、それも一つの成長過程だと受け止めて・・・、でもお陰様で充実した日々を送っている。

 そうそう・・・「許す」と言う事は本当に難しいことだと改めて思う。
 だって、許せない事を許すんだもんね~・・・と。
 だが、いつも私は色んな方に助けて頂き、そして色んな方に許して頂いての今があると思う。(おそらく患者さん、そして飼い主さま、スタッフ、友人、家族・・・etc・・・。)
 だから自分も人を許さなくてはならないと言い聞かせている。(が・・・まだまだ人間ができてないな~・・・。と思う場面もある。
 その前に自分を許して愛して・・・そこから始まるのかも知れないけど・・・。ただ、以前よりはかなり自己否定感がなくなったように思う。)

 「倫理法人会」で、皆様が「実践こそ大事!」と言ってらっしゃるので、決めた事は一つでも良いからやっていこうと思っている。
 「まずは何からやるの?」ですか~??
 う~・・・ん。やっぱ整理整頓と時間を守ることかな~・・・。

 そう・・・、ひとまず 「悪い癖は癖にして直そう(^^)/.。」と思っている今日この頃である。(これは以前通っていた瞑想の師匠から教えて頂いた言葉である。)

2009年 8月 30日 掲載

 私達父子はとっても屈折した関係だったと思います。
 父はそう思ってはいなかったと思いますが、私は昔から父があまり好きではありませんでした。

 忘れもしない、私が小学校三年の時、母の実家に、母と兄、私、弟で行った時、当時は犬が放し飼いでありまして、私の愛犬チロが留守中に居なくなってしまいました。

 一応父が仕事の合間に、チロにご飯だけ与えてくれる約束になっておりましたが、私達が帰ってきた時には、チロは私達を捜しに出たのか、行方不明になっておりました。

 それで翌日学校に行く前に保健所(今の動物保護管理センター)へ父に連れられて探しに出かけました。
 道中、「お前達がちゃんと可愛がってないからこういう事になるんだ・・・。今頃もう、チロは保健所で殺されてるぞ!」と私達を戒める為に?そう言ったのでしょうが、可愛がっていたチロが居なくなって、悲しんでいる私の傷口に塩を擦り込まれているようで、悲しいの半分、父が憎いの半分で・・・涙をこらえながら、保健所向かった覚えがあります。

 大学を決める時も、父はどうしても兄や私を獣医にさせたかったようで、「お前は大学に行きたいか?! 獣医の大学に行かなかったら、わしはビタ一文 金を出さんぞ!」と言われ・・・昔から描いていた夢はあったのですが、選択の余地もなく、獣医の道を選ぶ事になりました。
 「本当にこの道は私にあっているのだろうか・・・??」と言う疑問がいつも頭をもたげてきて・・・、暗くて長い学生時代を送ったものです。

 後で考えたら、父は不器用な性格であるのと同時に父自身思春期に満州に行かされて、甘えたい時に親に甘える事も出来なかったのでそういう形でしか私達子供に接する事が出来なかったのでしょうね・・・。

 私の夢も、今思うともっと頑張って主張したら通ったかも知れないのに、諦めてしまった自分にも問題はあったのかも知れません。(かの有名なマチャコさんも厳しい両親の反対を押し切ってお笑いの世界に入ったのですもんね・・・。私の夢はお笑いではなかったのですけどね・・・。)

そんな父も、3年半前のある寒い夜、難産の牛の治療をする直前に、酪農家さんの所で、脳内出血で倒れ、その後一命は取り留めたものの、右半身不随になってしまいました。
 リハビリの甲斐あって、今は母と一緒だったら、お散歩にも出られますし、言語も戻りつつあります。

 ですが、一旦病気になった父は以前の父とは別人の様になってしまいました。
 たまに実家に寄る度に「あ~・・・ゆり子か~・・。いつもありがとうな~! ご苦労さん、お前達のお陰だよ!身体に気をつけるんだよ!」と言ってくれます。
 「あの激しかった父はいずこへ??」と言う感じです。

 そんな訳で、学生時代は選んだのは自分とは言え、私の人生を変えてしまった父を恨んでいた時期もありましたが、今、こうして好きな道に入る事が出来たのも(正しくは仕事をさせて頂いているうちにこの道が好きになった!!ですね。)、後で考えたら父のお陰だと思います。

 今お話した事とは別に、もう一つ父に感謝している「父の教え」があります。
 それは、『水を飲む時は、いつも井戸を掘ってくれた人に感謝して飲みなさい。』と言う言葉です。
 その言葉は、私が社会人になってから父から聞いた様な気がしますが、この言葉は今でも私の大切な言葉として、いつも自分に言い聞かせています。

 こうして、当たり前の様に仕事をさせて頂いていますが、来て下さっている飼い主さまがいらっしゃる。痛い事ばかりされる所なので絶対嫌だろうに我慢してくれる患者さんたち。
 こんな私に協力してくれるスタッフ達。そして素晴らしい先輩や同輩の方々、困った時に話を聞いてくれる友人達、毎晩遅く帰る私を待ってくれている子供達。私の代わりにご飯を作ってくれる夫・・・そして両親・・・などなど本当に有り難いです。

 『本当に、皆さま、心からありがとうございます!』

 そう・・・。
 今となっては人様に感謝をする事を教えてくれたのは、紛れもなく私と馬の合わなかった父でした。
 そういう父に、今感謝しています。(デヘッ! ついでに言わせてもらえば、我が子達には、絶対自分の好きな道を歩ませるぞ!と思える様に、反面教師にもなってくれましたっけ!!)

2009年 6月 22日 掲載

 仕事が終ってどっと疲れている時やちょっとしたことで落ち込んだ時に、何気なく寄ったコンビニやスーパーで、救われる事って結構ある。

 そう・・・それは“笑顔と優しい言葉”である。
 一つ一つ覚えてはいないが、その度に 「ホント、今日は良い日だな~・・・。色んな事があったけど、これでまた帳消しになったな~・・・。神さまありがとう~(^^)/」ってな感じになる。
 そうすると、「私もそんな存在でいたいな~・・・。」とか「うちの病院も飼い主さんにとってそんな存在でありたいな~・・・・。」と、改めて思う。

 「人に優しくされるから人に優しくできるのか・・・? はたまた人に優しくするから優しくされるのか・・・??」 なんて考えても無意味な事を考えてみたりすることもあるが、一先ず、人の笑顔や優しさに触れて、またまた幸せを感じる今日この頃である。

 因みにこの写真は、今日お墓参りで行った「洞雲院」でのお言葉である。

 ここのご住職が先日当院へ愛犬を連れておみえになった時、「先生!ここ二ヶ月ほど、先生のお寺のお言葉、変わってないですよ!私いつも楽しみにしているので、そろそろ貼り変えてくださいね!」とお願いして変えて頂きました。(何を隠そう、ご住職は小学校時代の音楽の先生でした。)

 大塚先生、お忙しい中我がままをお聞き下さいまして、ありがとうございましたm(_ _)m。

2009年 6月 01日 掲載

 先日仕事から帰って、子供達が録画したビデオを見ようとして目次を見てたら、「松本清張生誕100年記念作品 駅路」(向田邦子さんとの合作) と言うタイトルが眼に留まり、観てみた。
 またもや年がばれるが、今は亡き松本清張さんは昔からのファンで、その頃はビデオなんてなかったので、「砂の器」や「鬼畜」などをよく映画館に観に行ったものである。

 そのドラマを観て松本清張らしいストーリィーの素晴らしさに感動したが、それだけでなく、「いや~・・・、役所広司ってマジにシブイな~・・・。」なんて思いながらその日は寝た。
 そしてなんと昨日たまたまテレビを付けたら、また役所広司が出ていたではないか!

「象の背中」と言う映画である。(松本清張の作品ではないのだが。)
 熟年のサラリーマン(役所)が肺癌になり、最期に愛する妻に送るラブレーターのような内容だったと思われるのだが、私がテレビをつけた時には殆ど終りかけていた。
 ただ、そこで役所広司と兄の岸部一徳との会話がとても気に入った。

 「ごめんね・・・。覚悟は決めてるなんて言ってても、実は死ぬのが怖いんだ・・・。誰にもこんな事言えなくて・・・。」と泣きながら言う役所に対して、兄の岸部が 「いいさ。人間なんてどうせみんな弱虫なんだ・・。」と言う台詞。(ちょっと違うかも知れないけど・・・。)
 なんかこう・・・ズシンと来たな~・・・・。
 「表で見栄を張ってはいても、誰もが何かしら抱えていて、頑張ってはいるけど本当は人間は弱い生き物なのだ。そしてそれで良いんだよ・・・。」と言うことなのだろうか・・・。

 先の松本清張さんの作品の内容ははしょってしまったが、内容も役者もさることながら、ドラマが終った後の加藤登紀子の歌う、今は亡き河島英五の「生きてりゃいいさ」も良かったな~・・・。
 私にとってとても思い入れの深い歌だっただけに・・・。

 でっ、結局私は何を言いたかったのか・・??
自分でもよくわからないのだが(適当ですみません・・・。)、それはさて置きお薦めの二秀作であった。(^^)V

2009年 5月 04日 掲載

 先日の土曜日(4月4日)に、昨年末まで勤めていてくれた小森さんの結婚式がありました。

 11時まで診察をして、後は加藤先生に病院を任せて、病院代表として私が出席させて頂きました。
 教会で式が始まり、バージンロードをお父様と一緒に歩いてきた小森さんを見るやいなや・・・涙が出てきましたね~・・・。

写真の通り “とても美しい花嫁さん”でした。

式の後、披露宴の前に綺麗な花嫁さんとパチリ! 私は心なしか瞼が腫れていて、みっともない顔をしてますが…。

 当院には一年と9ヶ月勤めてくれたのですが、当時ベテランスタッフのうちの一人の体調が思わしくなく、彼女が休み勝ちだったので、日常の診察はスタッフ以外ではアルバイトの人達に助けてもらいながら切り抜けてこれましたが、緊急の手術が入った時は、何度か小森さんに助けてもらいました。

 血を見るのが好きな人はそうそういないと思いますが、彼女は人一倍嫌いだったようで、勤め始めて数ヶ月の間は、彼女の休憩時間に私達が手術をしていると、休憩が終って病院に戻ってきた彼女は、「きゃ~!・・・。」と言いながら、眼を伏せるようにして手術室を通り過ぎて行きました。

 そんな彼女でしたが、人手不足なのを察して、緊急の夜中の手術や祭日の手術など、嫌な顔ひとつせずに外回り役(手術中の動物の身体を温めたり、注射や点滴の準備など)として頑張ってくれましたっけ・・・・。
 ですので、彼女の花嫁姿を見たら、この二年弱のいろいろな思いが駆け巡り、涙が止まりませんでした。

式が終わって、ご主人と退場するところです。

「あすかさん、今まで本当にありがとうね! 素敵なご主人に巡り会えてよかったね! どうかお幸せになってね!!」

と言う訳で、本当に感激した結婚式でした。

少しぼやけてしまったのが、とても残念です(-.-;)。 本当に素敵なお二人でした。

2009年 4月 10日 掲載

 今日のミーティングで、ちょっと?ショッキングな事を看護士から聞きました。

 とある日、加藤先生がある猫ちゃんを診察していた時、隣りで診させて頂いてた私の診察が終り、「○○ちゃん、お待たせしました~!」と次の飼い主さんを私がお呼びした時の話です。
 私の声を聞くやいなや、隣りで加藤先生が診ていたその猫ちゃんが“ビクッ!!”としたそうです。

 その状態を見るやいなや、飼い主さんが 「この子は、男の人が怖いんだよね~・・・。○○ちゃん、大丈夫だよ!」と、その猫ちゃんに語りかけていたらしいのです。
 その看護士曰く、「業者さん始め、その時誰も男の人はいなかったので、一瞬耳を疑いましたが、よくよく考えたら、それは先生(わたしの事です)の声だったんですね~・・・・。」との事。

 ガチョ~~ン!!
 (かなり古いですね~!年がバレバレですね(笑)!)
 そうでしたか~・・・・。と言う感じになりました。

 でも、正直言って今までの間、男の人の声に間違えられる事は結構ありました。
 中学校時代に、仲の良かったYちゃんが家に電話をしてくれた時、彼女はよく弟と私を間違えてましたし(オイオイ・・・!!)、この仕事に入ってからも、入院中の患者さんの様子をお伝えしようとお電話した時など、そこのお父様がお出になられると、「オイッ!男の先生から電話だぞ!」と言う声を何度か耳にしました・・・。

 もっと酷い話ですと、大学を卒業してから、ある大学の聴講生をさせて頂いていた時に、今の様に髪を短く切って、Gパンに革ジャンを着て歩いてましたら、後ろに男子生徒が二人歩いてて、「オイ!前に歩いてる奴さあ、男だと思う?それとも女だと思う??」と小声で?囁いているのを聞いて免疫も出来ています。
 今の私でしたら、クルッと振り向いて、「悪いね~・・。わたしゃ、女だよ~!!」と言える厚かましさがあるのですが、その時はまだ20台でしたので、赤くなってうつむいているだけでした・・・。(そんな時期もあったんだな~・・・と言う感じですね!(笑)。)

 まぁ~・・・・。それもどうでもいい事だとも思います。
 大学時代の九州出身の剣道部の先輩のお言葉をお借りしたら、「まあ、ええじゃないや~・・・!!」という感じですかね~・・・。

 良しにつけ悪しきにつけ、年を取るという事は、いろいろな面で変わってくるものでして、最近些細な事には拘らなくなってきたように思います。(意識して拘らないようにしているうちに拘らないようになったというのが正しいかも知れませんが・・・。)

 治療の面で飼い主さんとのお話の中で、どうしても拘らなくてはならない事は、ちゃんとお伝えするにしても、どうでも良い事に関しては、「まあ、ええじゃないや~・・・!!」と思える私がいますね~・・・。(やはり年を取ったせいでしょうか・・・??)

 ひとまず・・・・真正面で向き合った時に、「こいつ、男?それとも女?」と言われる日が来るまでは、「まあ、ええじゃないや!」と思ってますね~・・・アハハ\(^0^)/・・・!!

2009年 3月 11日 掲載

 結構仕事に関係ない事ばかり書いてきているので、番外編でも何でもないのですが(^^;)・・・。
 今月の17日で、阪神大震災からちょうど14年が過ぎました。
 私の母が兵庫出身と言うこともあり、あの朝一度に親戚を二人亡くしました。
 多くの方(約6500人)と動物達が亡くなりましたね・・・。
 まだまだ身体や心の傷が癒えない方もいらっしゃる事だと思います。
 亡くなった方々に心からお悔やみ申し上げます。

 ところで・・・その後一日か二日して、イスラエルがガザ地区への停戦をしましたね。
 仕事柄、あまりテレビを見る機会がないのですが(とか言いながら、実は夜中お笑い番組の録画にはまってますが・・・。)、このニュースはとても気になって見てました。
 大人だけではなく、子供も含めて1300人の犠牲者を出しましたね・・・。
 たまたま今の私は、ここ日本の愛知に生まれて大きな地震に遭う事もなく、そして戦争にも巻き込まれずに、こうして元気で生きてますが、一歩間違えたら(もしそこに生まれていたら)それらの犠牲者になっていたのかも知れないと思うのですね・・・。
 なので、確かに人事ですが、人事ではない様な複雑な気持ちでニュースを見ていました。

 なぜ戦争が起きるのか・・・??
 当事者からすると深い訳があるのかも知れませんが、本当に疑問と悲しみと怒りの気持ちで一杯になります。
 なんで、人間の様な素晴らしいところを持つ生き物が殺し合いをしなくてはならないのか・・・。。。

 ところで、7年前にインドへ行った時、たまたまそのツアーで バラ・サイババという方にお会いしました。
 そこで、「3つのお願い事」をしました。

1. 私と出会った人達(デヘヘ・・・私も含めて)がみ~んな健康で幸せでありますように
2. 世界中の戦争がなくなりますように
3. 三つめは・・・むふふ・・・内緒です。

 私のお願い事の紙をご覧になりながら、サイババは腕からガネーシアのネックレスをシャラシャラン☆と出して下さり(実に摩訶不思議でした!)、「ダイジョーブ、ユーアーハッピーよ!」みたいな事を言ってくださったのですが、私の英訳が悪かったせいか紙に書いたそのお願いごとの二つめが叶いませんでした。

 いつになったら、争いごとのない平和な日が訪れるのでしょう・・・・。
ガザへの“終戦”が来る事を願って止みません。

2009年 1月 19日 掲載