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犬・猫・ペットの治療と予防│リリー動物病院

院長コラム

「人前で泣いてはいけない。涙はこらえなくてはならない。泣くことはみっともない事・・・。」 と、教えらて育ったせいか、私達日本人は結構泣けない人が多いような気がする。

わざわざ人前で泣く必要なんかないんだけど、涙をこらえてしまう癖のある人がたくさんいるんじゃないかな~・・・。と思う。

勿論私もその一人だった。
でも、最近はちょっと違う。
年を取って涙腺が緩くなったせいなのか、少しだけ自分に素直になれてるせいなのか・・・??
名古屋の専門学校までの車の中で時折泣くことがある。

今、うんと辛い思いで過ごしてる友人達がいて、彼女たちの事を考えると涙がどんどん溢れてくる・・・。
私が泣いたところで、友人達が救われる訳ではない。
祈ることと泣くことしかできない自分がとても歯がゆい。
そう思いつつもやっぱり泣けてくる・・・。
本当は逢って、「ぎゅ~っ!!」としたいのだけれど、それもままならない。

そう・・・今回の大震災で避難所で過ごしてらっしゃる方の中にも、本当はもっと泣きたいのに周りに人がいて泣くこともできない人がたくさんいらっしゃるのではないかと思う。

「泣いたって何の解決にもならないよ! 大事なあの人もあの猫ちゃんもあのワンちゃんも帰ってこないじゃない!!」  ・・・確かにそうかも知れない。
涙が枯れるくらい泣いても、亡くなった人や動物達は帰ってこない。
でも、涙をこらえる必要はないんじゃないかな~・・・。

泣いたからって決して弱いわけじゃない。
泣きたい時は泣けばいい。

先日、あるご縁で治療家の内尾政明先生と電話でお話しをした時、内尾先生が 「一生懸命努力しても、ままならないことがあるけれど、お互い力強く生きていきましょう! 
力強く生きるって事は、頑張って生きるって事とちょっと意味合いが違うんだよ。」
とおっしゃった。

そう・・・。
私も、これから 「力強く生きよう!」 と思う。
時に涙することはあっても・・・・。

2011年 5月 13日 掲載

今日(4月12日)から、私は名古屋の鍼灸の専門学校に通うことになりました。

ぴかぴかの一年生です(^^)V。
一昨年入会した師温会(中医学の最高峰 恩雪楓先生の教えを伝授する鍼灸の勉強会です。)には、私と同じ様に結構イイ年になってから鍼灸の専門学校に通われた方が二人お見えになり、先日のセミナーでお逢いした時にいくつかアドバイスを頂いた。

①年取って記憶力も落ちてるんだから、若い子達とグループになって一緒に勉強して、とにかく定期試験と鍼灸の国家試験に受かるようにすること。
②先輩の過去問を入手して、一つ一つの定期テストを頑張ること。

との事・・・。
そのうちの一人の先生から 「私、みんなからお母さんって呼ばれてたのよ!」 って言う話をお聞きした時、正直言って 「私はお母さんって呼ばれるの、ちょっと寂しい気がするな~・・・。。。」と、思った。
だが、昨日の初授業で自己紹介があった時、みんなのプロフィールなどを聞いて唖然としてしまった。

26人中、40代の女性は私を含めてたった3人、男性は50代1人、60代1人・・・・後は殆どが18~19歳。そして柔道整復師やスポーツトレーナーとして働いている方が数人(殆ど20~30代)。
なのでクラスの7割弱が長男と同じくらいの年の男の子と女の子ばっかりなのだ・・・。

「トホホ・・・。これじゃあ、やっぱり お母さんって言われてもしゃ~ないわ・・・。」と思ってしまった。

一日が無事終わり、3時からいつもの様に病院で診察をしたが、何だかとっても新鮮でうきうきだった。

(写真は先週のオリエンテーションの時に撮ったものである。)
※午後の私の診察時間を変更させて頂き、皆様には大変ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。
先日トップページでお伝えした通り、人の鍼灸資格獲得の為、三年間午前は学校に行かせて頂きます。
午前は加藤獣医師と水出獣医師が診察させて頂いております。
午後は私と加藤獣医師です。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

2011年 4月 12日 掲載

大震災があってから二週間が過ぎた。
その間ずっと偏頭痛と共に首と肩の張り方が尋常ではなかった。
食欲がないのはそのせいだと思っていが、どうせいつもの事故の後遺症だろうと思っていた。

昨日(26日)は病院を休んで、静岡の整骨院の植松先生(国際和合研究会の準備会で昨秋お逢いしてから、月一でお世話になってます。)の所へ行ったのだが、診察室に入った途端植松先生が、「何~??ひどいね~・・・。首がこんな風に曲がってるよ!!」と、亀の様に首だけ前に突出している格好をされた。
それが笑っちゃうくらいひどい格好なのである!(真面目に真っ直ぐ立ってるつもりなんだけどな~・・・。)
「これって大震災のせいなんだよね~・・・。テレビで映像を見たりすると、その酷い状況をそのまま体がかぶっっちゃって、ゆりちゃんみたいに食欲が落ちたり調子悪くなる子供達が多くって、今結構そういう子達を治療してるんだよね~・・・。」との事であった。

歪みを矯正して頂いたお陰で、身体は随分楽になったのだが、治療中に先生がお話下さった中でとても興味深い話があったので、コラムに記すことにした。

それは 『祈り』 についてである。
植松先生曰く 「ゆりちゃんは、結構外さないよね~!! この4日間、インドの力のあるいくつかの寺院にお願いして、今回の大震災の『プジャ』(寺院の僧侶達にお祈りをして頂くこと。)をしてもらってるんだけど、今日はその最終日なんだよね! 僕は予約表をいつも見ないんだけど、こういう日にゆりちゃんが来るのは絶対意味があるよね!!」とのこと。
いつもなかなか予約が取れないので、実は一月前に予約を取った事をお話したのだが、植松先生はそれだからこそ余計意味があるのだと仰った。
以下は植松先生(U先生)と私との会話である。

・私;祈りって、大事なんですね・・・。
私、ある飼い主様に「今回の地震で一番大事なのは祈りかな~・・。」って言われた時、「いや~・・・。一番はやっぱり物資でしょ!!」と思ってましがた、後で考えたら祈ることって大事かもしれないと思い直して、毎朝毎晩、神棚で祈ってました。
・U先生;そうなんだよね~・・。
祈る事ってすごく大事なんだよね! 勿論祈りと共にカップラーメンでも何でも送れる人が送る事も大事なんだけどね。
そうだ!!せかっくだから、僕が今やってるマントラを教えてあげるわ!
まず、ガネーシャを一つ目のマントラで呼ぶ。(そう言えば何かお願い事がある時はまず始めにガネーシヤを呼ぶのだと、初めてインドへ行った時に聞いた事があった事を思い出した。) 
次にガネーシャの父親のシヴァ神を呼ぶんだよね。
シヴァ神は、「破壊と創造の神」だから、この地震がこれ以上起きないようにお願いすると共に、早く復興される様にお願いするんだよ。

・・・・と言う事で、植松先生は、いきなりメモ用紙を取り出してマントラを書いて、私に下さった。
それを今朝やってみたら、涙が溢れてきた・・・。どんどんどんどん・・・・。
自分でもわけが解らなかった。
正に先月ラーマン・ババにお逢いした時と同じ様な感じなのである。

「言葉は言霊」 だと聞いていたので、神主さんが唱える祝詞でも仏教のお経でも、そして護摩焚きの祈りの言葉でも、言葉の意味だけではなく、その音にも何か意味があるのだろうと思ってはいたが、本当に不思議な体験をした。(だからと言って、今晩また唱えたら涙が出るとは限らないが・・。)
本当はどんな形でも良いとは思う。
取り敢えず、今日から私は 「お亡くなりになった方々のご冥福と被災地の方々が心身共に健康であられる事。これ以上地震が起こらない事。そしてこれからの日本が良い方向に行く様に」 とお祈りしながら、毎日マントラを唱えることにした。

このコラムをお読み下さって、「祈ってみようかな~。」と思われる方がおみえでしたら、宜しければ以下の祈りをしてみて下さいね。

①ガネーシヤを呼ぶマントラ・・・3回
「オーム・ガネーシヤ、ナマハ」
②シヴァ神に対してのマントラ・・・108回
「オーム・ナマシヴァヤ」

2011年 3月 27日 掲載

大災害があって、4日明けても尚、余震が続き・・・連日被災の報道は続いている。
福島の原発も本当に心配である。

地震があった夜、いわきの瞑想の師の氏家さんや以前インドへ一緒に行った仲間、そして岩手の夫の実家等と連絡が取れ、建物の半壊があった(氏家さん)とは言え、無事だと聞いて安心したが、依然宮城の大学時代の友人と連絡が途絶えたままであった・・・。
だがやっと先程携帯が繋がり、無事である事を知って安心した。

彼の動物病院は、血液検査の機械が壊れたに留まり、家族全員無事だったようだが、食料品も水もガソリンも底を尽きかけており、携帯が繋がった時も家から出て水をもらう為に今家を出たばかりとのことであった。

「今私に出来ることはない??」と聞いたところ、「郵パックも今作動してないし、自分達は米があるから何とかしのげるが、浜の方が本当に大変だから、あらゆるルートで被災者の人達に物か義援金を送ってあげてほしい。」との事であった。

今日また病院の飼い主さまに義援金のお願いをし、知多半島の勉強会仲間や倫理法人会にも一斉メールするつもりである。
たまたま今回私達の所は無事だった。
だからこそ出来ることはとに角何でもしなくてはならないと思っている。

皆さま、ご協力の方よろしくお願い申し上げます。

2011年 3月 15日 掲載

何故かいつも気ぜわしい・・・。
仲の良い友達に言わせると、「ゆりちゃんはマグロみたいな性格なんだよ!忙しくしてないと死んじゃうんだよね!」との事だが、それは絶対違うと思う。
ただ、状況がそうさせてるだけなのだ。
愚図でのろまで・・・小さい頃から母に 「あなたみたいなのろまは火事になってものろのろしてて、みんなが逃げてもあなただけ逃げ遅れて、絶対焼け死ぬに違いないんだからね!」と、何度言われたことかわからない・・・。(苦笑)。
実際、テレビでコアラやナマケモノを見ていると、親近感が湧いてくるのも事実である。

さて、私の性格と仕事の忙しさが重なって、「インドへの旅~その3」が仕上がらずに今日に至ってしまった。
その3はラーマン・ババにお逢いした時の事を書こうと思っていたので、言うならばこの旅行記の一番のエッセンスなのだが、なかなかまとまった時間が取れなくて、気がついたら帰国して3週間近く経っていた。

一先ずこの旅で感じた事を忘れないうちに書こうと思う。
帰って来て感じたことは、「パワーアップ↑↑」 したことである。
そして、この旅は正に 「浄化」の旅であり、同時に 「執着をなくす・・・捨てことの大事さ」 を学んだ旅だった様な気がする。

私は強靭な体力の持ち主だと我ながら思うが、鑑定士の友人が言うには、今年は9年に一度起こる 「かんにゅう」 と言って、体力がとても落ちる一年なんだそうだ。
そう思うからそうなるのかどうかは分からないが、確かにインドへ行く前はやたらしんどかった・・・。いつも えら~・・。と言う感じだった。
だが、今は恐ろしい程元氣なのである(^^)V。
そして私の座右の銘?に 「良い事があるから笑うのではなく、笑うから良いことが起こる」(確かメンタルのセミナーの外部講師をされていた笑顔共和国の福田純子さんのお言葉だったように思う。)と言うのがあるのだが、そんなに無理しなくても、鏡に向かうとやたら笑顔になっている自分がいるのである。 よほどの睡眠不足の時以外は気持ち悪いくらいいつもニマッとしている・・・。

そうなんです!!
ラーマン・ババにお逢いして、今まで何十年もの間溜まっていた垢の様なものが一気に涙と共に浄化され・・・帰国してからもまだ少し拘っていた事があったのだが、仕事をしていた時にふっと吹っ切れる自分を感じて実に楽になったのである。
インドは二回目なのだが、今回の様な体験は初めてであった。
インドへ行くという事を他人に告げると大体は 「良いですね~!インドへ行くと人生観が変わるって話ですよね!」と言われるが、一回目はそうは思わなかった。
ただ、前回同様、貧困階級の方々(特に子供達)が沢山いて、駅で「何か食べる物ちょうだい!」と囲まれる度に心が痛んだ・・・。
そういう意味では、フクザツな気持ちと共に 「日本に生まれて来て本当に良かった!」と思ったのも事実である。
通訳のカンさんの話によると、インドの中で文盲(読み書きが出来ない事)の方は4割近くいるのではないかとの事だった。
今の日本では絶対考えられない事である。
そして、男性の平均寿命が58歳と言うことにも驚いた。
なんという現実であろうか・・・。。。

あらあら・・・。
その3の前に軽く書くつもりだったのに、長くなってしまいました!

それでは今日はこの辺で~ウンパッパ

2011年 3月 07日 掲載

今回は楽しいだけの旅ではなく、「ラーマン・ババ」にお逢いして心の底から癒され、当日のみならず次の日の不思議な体験も含めて帰国してからの「自分達の役割」のようなものを感じて帰ってきた。
おそらく一緒に行かれた方々も同じような事をお感じになったのではないかと思う。

と、ここまで書くと、「お~?!!」 と思わせる様な感じではあるが、一先ず日本のホテルとは違うシムラのホテルの様子などを書いておくことにする。(インド全部がこのようなホテルではないと言う事も一応お断りしておくが・・・。)


写真1
お二人の誕生日会も兼ねた夕食

写真2
「ケーキ入刀…」だなんて結構笑ってしまった

写真3
とっても素敵な小林ご夫妻と

(※写真をクリックすると拡大します)
その1で、書いた通り、つわりを思い起こすような苦しみに耐えながら、“あんな山 こんな山” を越えて、12日の夜ようやくシムラのホテルに到着した。

そこのホテルで夕食を頂いたのだが、旅行中同行された方のうちの二人の方のお誕生日が重なった為(二人は全く赤の他人なのだが)、前日のうちにケーキを二つホテル側に作って頂き、その日はみんなでお誕生祝いをした。(氏家さんとその他の企画者の方々、なかなか憎い演出をしますよね~(^^)V・・写真1・2・3)

初めてお逢いする方々もいらしたのだが、本当に不思議なもので一緒にご飯を頂いていくうちに(毎日カレー三昧だったが。)、本当に仲良くなる。
しばし仕事から離れ、別の空間に来たという開放感もあった為か、常に笑いが絶えなかった。


写真4
唯一の暖房機

写真5
カーテンを開けると・・・

いよいよ明日は、ラーマン・ババにお逢いできる日だと心を弾ませて、部屋に入ったのは良いが、その寒さに唖然とした。
広い部屋に、小さな電気ストーブが一つだけなのだ!(写真4)
外はご覧の通り、雪、雪、雪・・・だった。(写真5、この写真は翌朝部屋から撮ったものである。)

おまけに、風呂場に行ったら肝心のお湯が出ない!!
仕方ないので、この夜はシャワーを諦めて寝る事にした。
布団も薄い毛布だけだったので、押入れから煎餅布団を引っ張り出してきた。(もしかしたら、日本のワンちゃんやネコちゃんの方がふわふわの毛布で寝てるんじゃないかしらん?!と思ってしまった・・・。)
震えながら布団に入ったが、あり難い事に疲れも手伝って直ぐに眠りに就いた。

・・・・だが、間もなく眼が覚めた。
あまりにも寒かったからだ・・・。
そして、よくよく見ると、な、な、な、なんと~・・・暖を取っていたたった一つの小さな電気ストーブがぶっ壊れてるではないか(愕然)!!
真夜中と言うこともあったし、下手っぴな英語でフロントを呼ぶのも面倒くさかったので、「まあ、しゃ~ないか・・・。おそらくこれで死ぬわけでもないだろうし。」と、我慢して朝を迎えた。


写真6
やっと出たお湯?

翌朝(13日)、人肌に近い温度のお湯が出たので、「今だ!!」と思って深いバケツ様な入れ物(写真6)にお湯??を溜め、震えながら髪と身体を洗った。

勿論、ドライヤーなどはない。

その後、化粧水をつけるのに、指が白くなってかじかんだことは言うまでもない。
9時頃、軽く化粧を済ませて、ラーマン・ババご一行をお待ちした。
ラーマン・ババと楽隊の方々が、わざわざ私達の為に750キロ以上ある道を車でカシミールからシムラまで逢いに来て下さったのである。
ラーマン・ババは飛行機がお嫌いなので、シムラまで24時間近く掛かったそうなのだが、途中道が崖崩れに遭い、「もしかしたら、シムラに着く事ができないかも知れない。」との連絡が入った。
私は「それもありかも!流れに任せるしかないな~・・・。」と思ったが、ご一行はちゃんと9時には来て下さり、その後楽隊の演奏と個人セッションが始まった。

その3 に続く

2011年 2月 28日 掲載

9日の夜、仕事をギリギリまでこなして、長男に頼み込んで名古屋駅まで車で送ってもらった。(名鉄の高島屋前のところまで。)

実に生まれて初めての体験だった。
なんと、最終の東京行き新幹線に駆け込み乗車したのである!
今回の旅行の集合は、10日の朝9時成田空港であった。
前泊しないと到底間に合わない事をギリギリになって知った私は、慌ててホテルを取って、仕事をしてから成田空港に向かう事になった。
名駅内を必死で走り抜け、汗ダクで新幹線に乗り込んだ時、「ひゃ~! インドに行く前からこれなの?!」と、我ながら苦笑してしまった。
東京駅に着いたら、もう成田空港行きのエクスプレスはないとの事!
おのぼりさんが如く(実際おのぼりさんなんだけど)、駅員さんに行き方を尋ねながら、電車を乗り継いで成田駅からはタクシーに乗り、やっとこさ空港近くのホテルに着いたのは夜中の12時をまわっていた。
その夜は爆睡し、翌朝チェックアウトをしていたら、そこでこのツアーの企画者である氏家さんにお逢いした。

さあ~、これからインドへ出発である!!

ところで・・・出発前に息子達に「母さん、インドへ一週間行ってくるから、みんな元気でいてね!」と言うと、「またインド~?? なんで、インドなの?!もっと綺麗な国がいっぱいあるじゃん!」と三男。
「う~ん。確かにもっともな意見ですな・・・・。でもやっぱインドが私を呼んでるのよね!!」と私。
その後 「母さん、インドは列車の事故があったばっかりだから、やばいんじゃないの?!」と次男。
「な~んだ・・・。普段は憎まれ口ばっか叩いてる癖に、ちょっとは私のこと心配してくれてるんだ!」と、心の中でほくそえんだ後、「うん、母さんあんた達と居られるの、これが最後になるかも知れんから、優しくしてよね!」と言ったら、軽くスルーされてしまった(苦笑)。

さて、今回の旅は総勢39名の「ラーマン・ババを訪ねるインドへの旅」である。
半数強が、整体師、医師、歯科医師、獣医師などの医療従事者である。
そして、残りの方々は、医療従事者の方の奥様や今の事業をより成功させたいという経営者の方々の集まりであった。


写真1

写真2

写真3

写真4

写真5

写真6

写真7

写真8

写真9

(※写真をクリックすると拡大します)

10日の朝、インド行きの飛行機に乗り、約7時間後にデリーに着き、メトロポリタンホテルに一泊した。
次いで11日は、早朝5時半にホテルを出発して、「デリー駅」からシャタブディー特急で「ハリドワール」まで行き(写真1・2・3)、昼食後、聖地リシケシに移動した後、ガンジス川で沐浴をして(写真4・5・6・7)、夕方は聖火儀式に参加した。(写真8・9)。


写真10

夕刻のガンジス川にある雄大な神の像に感動し(写真10)、その儀式に参加した時、

「あ~・・・私、やっぱりインドに来たんだわ~!!」

としみじみ感じた。
11日は、リシケシで一泊した後、12日は、いよいよラーマン・ババと落ち合うべくシムラに向けて朝8時半に出発した。


写真11

写真12

写真13

写真14


8年前に私が初めてインドに来た時、このツアーは20名前後だったと思うのだが、今回は39名の大人数であった為、9つに班分けして各班で人員点呼等をすることになった。
私は、パチンコ業界の社長お二人と自販機の会社の社長と同じ班になり、殆ど彼らと行動を供にした。
日頃、異業種の方とあまり話をする機会がないのだが、班長の三井氏の話は実に面白く、車中ではずっと笑いが絶えなかった。
とは言え・・・インドのガタガタ道とラリーにでも出れるんじゃないかと思われる程の現地の方の運転さばきで車酔いしてしまい・・・一応写真は笑顔で写ってはいるが(写真11)、20年前のつわりを思い出させる様な辛い辛い8時間であった(写真12~14)。

その2に続く~・・・。

2011年 2月 22日 掲載

今、成田空港の飛行機の中です。
昨夜までバタバタしながら、何とかここまで来れました。
これも一重に皆さまのお陰と、感謝しています。

今日から一週間インドへ旅立ちます。皆さまのご健康をお祈りしつつ...それでは行って参ります(⌒0⌒)/~~

2011年 2月 10日 掲載

1月8日・9日と二日連続で、東京にてローレン・マッコール先生のアニマルコミュニケーター養成講座を受講した。

アニマルコミュニケ—ターとは、人によって方法は違うかも知れないが、私が今回習ったのは、動物の眼やシグナルサインだけではなく、動物の魂に働きかけて、テレパシーで動物と交信(対話)をする仕事をしている人の事である。
数年前より、ハイジさんと言うアニマルコミュニケーターの方が、結構マスコミで取り上げられていたようだが、放映されていた時間帯は大体仕事をしていて見た事がなかったし、むしろあまり興味がなかった。
ただ、二年前に、中獣医学研究会(鍼灸の勉強会)の講師の山内先生の所にアニマルコミュニケーターの仕事をしてみえる飼い主様が来院された事があり、その方が「サービスで山内先生のお家の猫ちゃんの意見を聞いてあげましょうか!?」と言うことになり、その時の話(山内家の猫ちゃんが考えていたこと)をたまたま山内先生からお聞きして、少し気にはなっていた。

その後(ちょうど去年の今頃)、当院に鍼灸の治療をしに来て下さっていたフレンチブルドッグの小雪ちゃんの飼い主様(Oさん)が、内海でローレン先生の「アニマルコミュニケーションプライベートセッション」を受けられ、その内容を彼女からお聞きして更に興味を覚えた。因みに、「アニマルコミュニケーションプライベートセッション」とは、事前に質問事項をOさんが用意して、ローレン先生に小雪ちゃんと会ってもらって、小雪ちゃんと対話した後その内容をOさんにお伝えすることである。
その時の話をOさんからお聞きして、「犬達は、私達人間が思っている以上に考え深い動物なんだな~・・・。」という事と「驚くべきほど家族の事を観察しているものだな~!」と妙に感心してしまった。
当日のセミナー1日目にローレン先生も同じ事をおっしゃっていた。
もちろん、ローレン先生がOさんに「小雪ちゃんはこう言ってましたよ!」とおっしゃった事が絶対本当であるという証拠はないのだが・・・。

ところで、二日間出席して感じたことは、『ローレン先生は魂のレベルの高い人である!』と言うことと、「もしかしたら交信の方法を取得して練習さえすれば、誰でも動物達と対話できるのではないだろうか?!」と言うことである。(な~んて、二日間しか出席してないわたし如きが言うのもオコガマシイ話なのであるが・・・。)


ローレン先生と通訳の山崎恵子先生

ローレン先生は、講義の中で詩人や哲学者などの言葉を引用して、「動物達を同じ視点で見なくてはならない・・・決して動物達は我々人間の所有物ではないし、毛皮を着た人間でもない。だから擬人化してはいけない。人間ではないが、同じ地球に生まれ落ちて共に旅をする、彼らは同じ地球の仲間なのである。」とおっしゃっていた。
そして、アニマルコミュニケーターの役割は、動物と飼い主様との橋渡しと言うか、いわゆる通訳みたいなものだとおっしゃっていた。

例えば「なぜトイレ以外の所で排尿するのか?」と言ったような問題行動に関して、その動物(もしくは動物の写真)に直接原因を聞くことにより、解決する方向に導いて行く。勿論長い間の問題行動に関しては癖になっている時もあり、直ぐに改善しない時もあるそうだが・・・。

更に彼女の講義の中でとても興味深いと思った事は、「どの動物達もある役割を持って飼い主さまの家に来ている!」と言うことであった。
(正直な話、去年Oさんがローレン先生のセッションを受けられた後で、「ローレン先生のお話では、小雪が我が家に来た役割はこういう事だったらしいのよね!」とOさんからお聞きしてなければ、今回のセミナーを受講していなかったと思う。そういう意味では、ローレン先生や通訳の山崎先生だけでなく、ローレン先生との橋渡しをして下さったOさんにも心から感謝している。)

さて、今回のセミナーではどのような事をしたかと言うと、まずは呼吸を整えながら軽く瞑想状態に近いところまで持って行き、基本的な動物との対話の仕方を教えて頂いた。
その後、お互いに持ち寄った動物達の写真を一旦テーブルの上に並べ、それを各々の生徒が一枚ずつ選び、その動物の写真と対話をしてそれをみんなの前で発表した。
その時に実際に写真の動物の飼い主様であるその中の生徒さんにその場でいろいろ意見を聞いてみるというのを繰り返した。
驚いた事に、二日めには実際の飼い主様しか解からない様なことも、みんなが動物(正しくは動物の写真)から聞き出していたり、その動物がその家に来た役割等を聞くことができるくらいにまでなっていた。(勿論、未だ初歩段階ではあるが・・・。)

ところで、先程の 「ローレン先生は魂のレベルの高い!」 と私が感じた話に戻るのだが、ローレン先生の仕事の依頼の4割は、亡くなった動物達との対話だそうである。
彼女の仕事(役割)は、動物達からのメッセージを飼い主様に伝えることによって、彼らの飼い主様への思いと同時に、死は決して怖れるものではないと言う事。そして死を考えながらも、生きている間にお互いに成長しあう事が大切であると言う事を伝えて行くことであるとおっしゃっていた。
正に動物達のメッセージを通して、人への「死と生の教育」であると・・・。

それをお聞きして、ローレン先生は実に深いお仕事をしてみえるな~と思ったのである。


他の生徒さんが同居している動物の写真と対話した後、その内容を発表しているところ。

実はもっと早くこのコラムをアップしたかったのだが、平日は自分の時間があまりなく・・・そして、もっともっとローレン先生の素晴らしい授業の内容を書くつもりだったが、忙しくてそれもままならない・・・。もしかしたら、いつか 「アニマルコミュニケーション その2」を書くかも知れないが、なかなか時間が取れないかも知れない。
なので、もし、もっと興味のある方がいらしたら、ローレン先生の著著「永遠の贈り物・・中央アート出版社」をお読みになるのもお薦めだし、直接ローレン先生の講義を受講するのも良いのではないかと思う。

二日に渡るセミナーが終わり、嬉々として息子達にセミナーの話したら、何とも言えない顔で私の事を見つめだした・・・まるで宇宙人を見るような、でもちょっと?呆れた様な眼差しで・・・。
でもそれでも良いのです!!
全員の人に理解してもらいたいなんて思ってないし、それにそもそも何故私は、このセミナーに出たのか・・・???
そう!本当はもっとアカデミックなセミナーに出て、最新の技術を身につけるべきなのかも知れないが、末期の患者さんの治療をしていると、飼い主様の気持ちも大切だが、患者さんである動物達は本当に治療したいと思ってるのかどうかといつも考えてしまうからである。
もしかしたら、今、対症療法として、お薬を出している患者さんの中にも 「もう、治療はうんざりだわ!!」と思実はもっと早くこのコラムをアップしたかったのだが、なかなか忙しくてままならなかった。
そして、本当はもっともっと内容のことも書きたかったのだが、うまくまとまらないようなので、このくらいにした。(それでもかなり長くなってしまったのだが・・・。)
もしかしたら、半年後に再受講して、 「アニマルコミュニケーター養成講座 その2」を書くかも知れない。
でも、もし興味のある方がいらしたら、ローレン先生の著著 「永遠の贈り物・・中央アート出版社」をお読みになるのもお薦めだし、直接ローレン先生の講義を受講するのも良いのではないかと思う。

ところで、二日間に渡るセミナーが終わり、家に帰った私は、嬉々として息子達にセミナーの話をしたのだが、彼らは何とも言えない眼差しで私の事を見つめだした・・・まるで宇宙人を見る時のような、でもちょっと(いや、かなり)呆れた様な・・・。

でもいいんです!(きっぱり!)
全員の人に理解してもらいたいなんて思ってないし、それにそもそも何故私は、このセミナーに出たのか・・・???
そう!本当はもっとアカデミックなセミナーに出て、最新の技術を身につけるべきなのかも知れないが、末期の患者さんの治療をしていると、飼い主様の気持ちも大切だが、「患者さんである動物達は本当に治療したいと思ってるんだろうか?!」といつも考えてしまうからである。
もしかしたら、今、対症療法としてお薬を出している患者さん達の中にも 「もう、治療はうんざりだわ!!」と思っている動物達がいるような気もする・・・。だとしたら、彼ら(彼女ら)の声ばかり聞いていたら、我々獣医の商売は上がったりかもしれない・・・(苦笑)! でも、辛い治療を受けている動物達から可能なら本音を聞いてみたいと思ったのである。
そんな事が本当に出来たら、こんな素敵な事ってないと思いませんか?!

と言うことで、今日も長いコラムにお付き合いくださいまして、誠にありがとうございました。
以上、アニマルコミュニケーター養成講座のセミナーのご報告でした。

2011年 1月 17日 掲載

去年の12月に東京で『テレセラピーのセミナー』(テレセラピーとはインドで100年の歴史を持つ宝石を使った遠隔治療の事。)で、京都の堀田先生にお逢いした時に堀田先生が仰った言葉が妙に心に残りました。

「工藤先生、バージョンアップしたテレセラピーの機械、ちゃんと使ってる?! よ~っく効くから、絶対使わないともったいないよ!」と堀田先生。
「はい! ホント、この機械、すごく効果がありますね! ただ、テレセラピーをしてかれこれ8年になりますが、飼い主さまに変な獣医だと思われるのが怖くて、こういう治療をしているという事を公言できない私がいるんですよね・・・。」と私。
するとすかさず、「工藤先生、何言ってんの??変わってるって事は一つの個性なんだよ!そんな事を恥じる理由は一つもないんだよ!変わってると言われても、これが自分の個性なんだと堂々と認めれば良いんだよ!」と堀田先生。

その日からひと月が経ち・・・たまたま息子達が好きな「THE BLUE HEARTS」の 『ロクデナシ』 と言う歌を久しぶりに聴いた時、何だか腑に落ちるようなものを感じました。

1 役立たずと罵られて、最低と人に言われて
要領よく演技できず、愛想笑いも作れない。
・・・略。

全ての僕のようなロクデナシの為にこの星はグルグルと回る~劣等性で十分だ~。はみ出し者で構わない~♪
お~おお~・・・
生まれたからには生きてやる!(二回繰り返し)
(サビ)

2 誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない。
自分を殺すことはないありのままでいいじゃないか。
・・・略。
(この後サビ)

サビの部分も良いんですけど、気になるのは2番のこの歌詞です。

そうか!!
私も人目を気にせず(怖れず)、ある程度自分をさらけ出しても良いのかも知れないと、少し思うようになりました。
そう!こと治療(仕事)に関して、もっと思うことをこのコラムに自由に書いても良いのでは?!と・・・。
と言うわけで、今年から少しスタイルを変えることに決めました(^^)V。

ところで・・・『ロクデナシ』とは無関係なんですけど、お正月に観た映画(DVD)でとても気に入ったのがありましたので、ここでご紹介しますね!
『プレシャス』です。
もう3回も観てしまいました・・・!
これホント、お勧めです。

☆それでは今年も皆様にとって素敵な一年でありますように~(^^)!
ありがとうございました。

2011年 1月 10日 掲載