院長コラム
既にここ数回のアメリカ旅行の私のコラムをお読み下さった方はご存知でしょうが、私はコロラド州の友人みのりさんとデンバー空港で待ち合わせるはずだったのですが当日飛行機に乗り遅れてしまい、成田で一泊した後、コロラド州滞在4日間の殆んどをホテルで独りで過ごすことになりました。
結局みのりさんに逢えたのは、最初のホテルに2泊した日の夜でした。
日本のホテルでは、全部とは言いませんがその日の朝、チェックアウトしても延長料金を払えば、ホテルとの交渉で長時間その部屋に居る事が出来ます。
「アメリカもそうかな~!?」と期待して聞いてみたところ、答えは「ノー!!」でした。
それで、朝10時にチェックアウトした後、みのりさんが私を迎えに来てくれる夜の7時過ぎまでを勉強道具片手に喫茶店をハシゴすることになりました。
ここコロラド州(デンバー)というところは、大らかな方が多い様に思いました。
だって、コーヒーだけで5時間長居してもそんなに白い眼で見られなかったんですからね・・・。
それに私だけでなく、皆さん結構パソコンなどを持ち込んで長居してましたしね!
そこで黒人女性と白人男性の若い素敵なカップルを見つけた私は、その夜みのりさんと逢うやいなや、「日本では、黒人を白人警察官が正当な理由もないのに射殺する事が問題になってるけど、ここコロラド州ではそんな雰囲気微塵もなくて平和でいいねぇ~!」と言った後、みのりさんからショッキングな話を聞いてしまいました。
「ゆり子さん、それは本当はアメリカでももっと問題にしなくっちゃあならない事なんだよね・・・。今帰りの車の中でみんなでちょうどその話をしてたとこなの。 日本でもアメリカでもそれが表沙汰になってるのは、氷山の一角なんだよね・・。アメリカは結構麻痺してるところもあって、こないだなんか無抵抗の若い黒人女性が警察官に銃殺されたしね・・・。」とみのりさん。「あのさぁ、アメリカ人って10年以上前になるけど、イラク戦争云々では私も思うところもあったけど、基本的には経済力もあったから、『アメリカは世界をまとめる国』って言う感じがアメリカ人の中にはあったよね!
そんな国の人達が、罪もない黒人を射殺して、恥ずかしく思わないんだろうか・・??」と私。
すると更に驚きの言葉がみのりさんから出ました。
「あのね~・・・。なかなか私達日本人には理解できない事なんだけど、そういう思想ってのは、もう小さい頃から脳に擦り込まれているみたいなんだよね。彼ら白人は黒人に対して『こいつらは生きてるだけで悪党だから、我々がその悪をたちのめしてもしても良いんだ!むしろ黒人みたいな悪党は生かしてたらダメなんだ!これが正義なんだ!』って思ってる人が多いみたいなんだよね・・・。」との事。
それはおそらく自分の両親や祖父母達の姿を観て、そして教えられ、もしくは本人の意識しないところで擦り込まれてそういう形になってしまったのではないかとみのりさんは言っていました。
なんて酷い話でしょう・・・。
アカデミー賞を受賞した有名な映画「招かざる客」が出来てから、もう40年数年経とうとしているというのに(おそらく)今でも黒人蔑視の思想がはびこっていて、尚且つ罪のない黒人が当たり前の様に殺されているだなんて・・・。
でも、ふと24年前、長男をお産した直後の母の言葉を思い出してしまいました。
その頃母は、兄嫁さんと二人でイーオンにはまってまして、イーオンの外国人の先生方とのお茶会が楽しいようで、いつも少女のように二人ははしゃいでました。
それで・・・と言うわけではないのですが、何気なく私は 「たまたま私は日本人と結婚してこうして長男を出産したけど、もし私が独身で『この人だったらついて行ける!』って思ったら、白かろうが黒かろうが、黄色かろうが・・肌の色なんか関係なく結婚してたと思うよ!」と言った時、母に間髪を入れずに、「止めて~(怒)!!何言ってんの!?日本人以外結婚したらダメに決まってるじゃない!!」と言われ、本当にびっくりしたのを覚えています。『コイツはもしかして宇宙人じゃない!?』ってくらいびっくりしたのを覚えています。
でも、少女時代を戦争で過ごした母からすると、私が外国人と結婚するということ事態天空が逆転するくらい想定外の話なのでしょうね・・・。そして有難いことにそういう発想を母から擦り込まれる事なく18歳まで両親と過ごして県外の大学に行った私は、そういう発想にはなりませんでした。
だがしかし・・・もし、私が白人でアメリカに住んでいて、そういう教育を両親達から受けていたとしたら、それが良い事だとは決して思いませんが、その黒人を殺した警察官と同じ思想を持っていたかも知れません・・・。
・・・でなければ潜在意識にそういう感覚が擦り込まれていないのなら、そういう両親の元で暮らしてきて意識の違いに苦悩するかも知れません。
そしてもし、私が黒人であったのなら・・・大昔、黒人は白人の奴隷の時代があった。
だが、ここ数10年くらいは同じ料金を払ってバスに乗ったら、席に座る事が出来る様になった。 更に今は時代も変わり・・・黒人も自由に外を歩けるようになった・・・でもそれは一見の事である。
どこで白人に会い、どういう理由でどんな仕打ちに遭うか分からない・・・。
そんな不安を一抹に感じつつ暮らしているのだと思う。
「考えても解決が見つからない事はなるべく考えないようにしよう!」と思ってはいても、考えざるを得ない一時でありました。
国内でも4年前に起きた東北大震災(原発も含めて)の復興もままならず、沖縄基地の問題も未解決のままですが、アメリカではもう何十年(何百年?)と人種問題が完全解決される事がなく、こうした問題があるという事を少し知って・・・平和が当たり前だと思っていた私は、かなりショックを受けました。
いつか・・・・黒人も白人も黄色人種も動物達も・・・そして今、戦争を逃れる為に難民として大変な思いを強いられている方々も・・・心の底から 「あ~・・本当に生きてて良かった。今が幸せ!」と思える日が来ることを願って止みません。
◇◇◇
※去年の年末に皆様にご協力をお願いしました「難治性心臓疾患の堀井敬太君」ですが、先日一度目の手術の後、意識不明になりましたが、その危機を乗り越えて二度目の手術で今はとても元気になったそうです。
皆さま、ご協力くださいまして、誠にありがとうございました。
この日曜日(10日)は、10時から吉祥寺で、いつもの、月一の鍼灸学院(正しくは日本獣医中医薬学院)研究科の推拿の授業がありました。
3年前にこの学院に入学し、去年9月に卒業した後、私を含め同級生の殆んどが10月からこの研究科に通っています。(去年までは月に2回授業がありました。)
学校に着くなり、全員ジャージとTシャツに着替え、1時間程校長指導の元で気功をして気を充実させた後、校長の授業が1時間半あり、昼食後、岩西先生の推拿(すいな;ツボや経絡をマッサージすることにより、患者動物を治癒に導くもの)の授業と、その後病気気味のワンちゃんの鍼灸治療(実習)を班ごとに行って、ようやく1日が終わります。
この研究科に来て2つの事を学びました。
- 臨床を通して、患者動物により良い治療をさせて頂く為の大切な条件は、知識と技術のみならず、治療をさせて頂く私達が心身共に健康でなくてはならない。と言うこと。
・・・いつも治療の前には気功等をして気を整え、仕事が忙しい時もなるべく疲れを残さない様に養生してベストな状態に自分を持って行くことこそ最善の治療が出来るのだと、より強く思う様になりました。 - 患者動物を治癒に導くのに、「絶対にこれ!!」と拘る事をせず、患者動物が心地よく治療を受けてくれるよう、鍼灸の他に推拿(すいな)や指針(ゆびばり)などの工夫をすること。
・・・この推拿の研究科に来てから、治療の幅が広がったように思います。
治療上、病気に繋がっているツボに針を刺すので、嫌がる子がいました。(腎臓病の子に腎臓から離れた後ろ足の内くるぶしの腎臓のツボに針を刺すと、腎臓が悪いので痛がるのですね。)
そういう時は5年〜6年前からダイオードと言う短い棒でツボを刺激してましたが、それでも嫌がる子には、無理して刺激をせず、推拿(マッサージ)をしながら、優しくツボを刺激します。
針は直接ピンポイントでツボを刺激するので、脈も数秒から数分で整います。正直な話、針を使った方が手っ取り早いのですが、無理やりやる事がメンタル的な面でその子に良いとは限りません。
少々遠回りに見えても、推掌をする事により、その子自身も私を受け入れてくれるので、治療がスムーズになります。
待合室に入った時は、緊張でブルブルしていた子も帰る時は、身体も心も少しでもリラックスしてくれたらこんな嬉しい事はありません^_^V(そして結果もついて来てくれたら尚更です!)
以上、少し??長くなりましたが、推掌のお話をさせて頂きました。
そして、
授業の後は・・・いつもの反省会?です^_^!
新幹線に乗るまでの1時間半、気の置けない仲間と飲むビールは最高です!!
色んな話をして、翌日の活力にして帰ります。
忙しい日が続くと、吉祥寺まで通うのはしんどい時もありましたが、私は鍼灸に出逢って、本当に良かったです。
技術のみならず、いっぱいいっぱい得るものがありました^_^。
ぽてちん、おしまい。
いよいよ帰国です!
今回はとても不思議な旅でした。
3月初めから持病の腰痛が酷くなっていたので、もしかしたら渡米できないかもしれないと思うところもありました。
ですが、そんな矢先に少し改善したのでこれで行けると成田まで行ったのですが、飛行機に乗り遅れてしまい、結局アメリカ滞在中のほとんどを一人でホテルに籠って過ごすことになったのですね・・・。
開業してからというもの、1人になる時間が殆どなかったので、とても新鮮且つ不思議な感覚の4日間でした。
特に意識したわけではなかったのですが、毎日毎日バタついていたので、やりたくてもできなかった事をこの4日間でやりまくったと言う感じでしょうか。
コラム、よもやま話、溜まっていた仕事のメール、そして勉強・・・その他は爆睡してはまた爆睡・・・。
さらにその合間にいろんなことを考えながら、頭に浮かんだ事を肯定も否定もせず・・・だからと言って日本から抱えてきたものがスッキリしたわけではなかったのですが、日本に帰ったら少し違った自分がいるような気もします。
帰国する2日前の夜は、みのりさんと二人で食事をし、昨日は今回私が飛行機に乗り遅れなければ、ニューメキシコ州の旅に一緒に行く事になっていた敬子(ひろこ)さんが、午後から私に付き合って下さって、ボールダーの街のお買い物に連れて行ってくれました。
その後は、一昨年私が渡米した際に逢って下さったみのりさんの友達も来て下さって、みんなでおいしくお食事をして、再会を約束しつつお別れしました。
そして今、飛行機の中にいます。
この度、「仕事の息抜きにどう?!」と誘って下さったみのりさん、快く送り出してくれたスタッフ達と家族、友達、そして私自身の休息の為とはいえ、病院を1週間も空けることに対してご不満もおありだったかも知れないのに、「そうなんだぁ!先生、楽しんで来てね!」と言って下さった飼い主さま達・・・皆様に心から感謝しています。
さぁ、フライトしました。
それではまた日本でお逢いしましょう~(^^)/
実は今わたし、アメリカのボールダー(コロラド州)にいます。
一月程前にコロラド州在住の友人みのりさん(ヒーラー兼ツアーコンダクター)が、「近々ニューメキシコ州のツアーを企画してて、今度仲間と下見に行くんだけど、ゆり子さんも良かったら一緒に行かない⁉️」と誘ってくれたのです。
今の時期は狂犬病のワクチン等で忙しいのですが、うちには頼もしい獣医が2人とベテラン看護師達も3人いてくれるので、二つ返事で行くことにしました。(ムフフ、みんなありがとうね〜!)
1週間病院を空けると言う事もあり、鍼灸の患者さん達に迷惑をお掛けする事になるので、出発前日の遅い時間まで診察させて頂いてました。
旅行の準備は数日前からちょこちょこしてましたので、当日の朝足りないものをカバンに詰め込み、「さぁ、出発!!」と思いきや、よく考えたら成田空港のフライトまで余裕がないではありませんか!!
「ヒェ〜(泣)!!」という感じで、今回お世話になったJSTの江口さんに新幹線から電話してその旨を伝え、「必死で行きますから可能な限り待ってて欲しいと伝えて下さい!」と、ワケワカランお願いの電話を成田空港まで江口さんにしてもらい、焦る気持ちを抱えながら空港に着きました。(しかも運の悪いことに品川駅で30分の待ち時間があったのですね〜>_<!) そして成田空港にやっと着き、国際線の南ウィングに向けて走った走った・・・っで30分前に着いたのですが、空港の案内係の女性に「お客様、国際線に限っては安全確保のためこの時間では無理です。今回は諦めて下さい。」と冷静な声で言われてしまいました。思わずわたし、二回も聞き返してしまいました。 一瞬その案内係の方が、“イジワル女”に見えたのは言うまでもありません(笑)。 その方曰く「取り敢えず次のデンバー行きのチケットを急いで取りましょう。でも大型のゴールデンウィークに入ったばっかりだから満席で取れないかも知れませんよ!」と言われてしまいました。やはりその日の便は無理でしたが、翌日の同じ時間のチケットは取れました。(ヤッタァ!) [caption id="attachment_9143" align="aligncenter" width="308" caption="タッチの差(でもないか…。)で見送った飛行機"][/caption]
仕方ないので成田で1泊することになり、気を取り直してホテル近場のおいしそうなレストランでビールにワインと軽く食事をし、翌日の飛行機でみのりさん達と合流することにしました。
と言うか正しくは合流するのだと、勝手に思い込んでました。
が・・・みのりさんに事情を話したところ、コロラド州のデンバーから2日間移動したニューメキシコ州のみのりさん達と合流するには、あまりにも距離があり過ぎてほとんど英会話のできない私が飛行機や電車を乗り継いで合流するのは無理!との事でした。
それで急遽みのりさんにデンバーから30分くらい行ったところのボールダーにホテルをとってもらい、みのりさん達が帰ってくるまでの二日間を1人で過ごすことになりました。
友達に話したら、「実にゆりちゃんらしいね!」と笑われ、「でもこの時期に次の日の飛行機のチケットが取れたのは、やっぱ流石だわ〜!!」とも言われました(^_^;)。
昨日デンバー駅からホテル前で停まる数人乗りの大型タクシー?に乗ったのですが、そこの切符売り場のおばちゃんがとてもいい方で、英語の不出来な私を乗り場まで一緒に連れてって下さり、同乗する男性にもお声を掛けて下さったので、降りる所もその男性に教えて頂いて、どうにかホテルに着くことが出来ました。(本当に感謝です。)
ニューメキシコ州の観光は惜しかったけど、昨日からスーパーに買い出しに行ったり外で軽くお食事したりと、一人でゆったりした時間をすごしています。
なんか、こんな時間も実は私には必要だったのかなぁとも思います。
こうして二ヶ月ぶりにコラムも書けてますしね!
英語は大丈夫かって?!
そう・・・渡米が決まった段階でECCに入ったんですが、やはり時間が取れなくて二回しか行けませんでした。
一先ず、単独行動が決まった段階で成田空港で英会話の本を買い・・・May I order? (注文をお願いします。) と Other beer please.(ビールのお代わりを下さい。)だけ覚えて早速昨夜それらの言葉を使いました。
ムフフ、何たってビールは私にとって、『命の水』ですからね!
もう一泊したら、いよいよみのりさん達がこちらに帰ってきます。
これからホテルの近くをお散歩してきますね!
それでは皆さま ご機嫌よう〜☆(^_^)/
夜の診察が終わり、やることがいっぱいあるので、「いったい何から手をつけたらいいものか・・・。」と考えあぐねた末、ふと目的なしに受付に行ってプラプラしてたら、この本が目に留まりました。
(写真1;たった一言で・あなたが大切だから。発行元;プチ紳士・プチ淑女を探せ!運動事務局/(有)ウィッテム)
この本は去年の7月に私の尊敬する京都の内科医堀田先生の診察を受けた時に、そこの病院で購入したものです。
購入したはいいものの、ほんの少しだけ読んで後は、「これ、イイ本みたいだからみんなで読んでね!」とスタッフに渡したまま受付で埃を被ってました。
やらなきゃいけない事満載なのに、いつもの私の悪い癖で気になったら直ぐに読まないと気が済まなくて、結局半分近く読んでからやっと我に返り(苦笑)、待合室の本棚に置きました。
もう、一つ一つのエッセーが涙なしでは読めなくて・・・スタッフ達も帰った後だったのでいっぱいいっぱい泣きました。
なぜか昔から泣くと頭痛がする私・・・。
よく、「泣いてすっきりしました!」って話は聞きますが、私は泣いてすっきりするどころか頭が痛くなってしまいました。
でも、心はやっぱりすっきりですね!
この本は、いろんな方の体験談が簡単にまとめられていて、読むとほっと温かい気持ちになるので本当にお勧めです。
この間も、中学一年生の男の子が集団暴行を受けて命を落としてしまいましたね。
「なんで、こうなっちゃうの!?このままでこの先いい世の中になるんだろうか?!」と怒りと絶望の気持ちでニュースを聞いていました。
亡くなった少年の無念の気持ちを考えたり少年のおばあさんの怒りの言葉を聞くと、いたたまれない気持ちでいっぱいになります。
加害者の青年達の人格の本質的な問題だけなのか、集団で行動することの恐ろしさなのか(って考えたらテロや戦争もそうなのか知れないけど。)家庭に問題があったのか、ストレスで切れてしまい易い今の社会に問題があるのか・・・・考えたら切りがない深い問題ですが、こうして仕事を通じて思うことは、「加害者の青年たちが小さい頃から動物を飼っていて、自分たちが守ってあげないといけない大事な存在に触れていたら、もっと命の大切さを身に染みて感じたんじゃないかな~!?」とか、「加害者の青年達は、愛してもらってるっていう自覚がなく育ってしまったから、こうなっちゃったのかな?!」と感じてしまいました。
でもやっぱり「なんでこうなっちゃうんだろう・・・・。加害者の青年達は被害者の少年の心と身体の痛みや親御さん達の気持ちを考えられないの?!!」と、怒りが込み上げてくるだけで、やはり答えは見つかりません。
亡くなった少年のご冥福を心からお祈りすると共に、「どうか次に生まれ変わったら、絶対に幸せな人生を歩んでね!」と思いました。
今日もお互いに・・・たくさんの愛を発信し受け取っていきたいものですね~・・・・。ではでは~
この一月くらいの間にイスラムでの人質の問題等、心痛む事件が相次いで起こってますね。
恐らくマスコミに取り出されないだけで、私達の知らない大変な出来事は沢山起きていると思います。
「一体いつになったら戦争のない平和な時代が来るのでしょう・・・。」と憂鬱な気持ちになります。
戦火の中で苦しんでいる人々や人質になっている女学生さん達の安全と共に戦争の終結を心から祈ることしか今の私にはできません・・・。
ところで、この12月から当院にも設置してありました「けいたくん募金」ですが、お陰さまで目標額を達することが出来たということで先月締め切ることになりました。
ご協力した下さいました皆さま、本当にありがとうございましたm(_ _)m。
11月のある日、実行委員の一人であるI氏からこのお話を頂いて直ぐにお引き受けしたのですが、その後活動も活発になり半田・阿久比界隈の結構な数のお店にこの箱(写真)が置いてあるようになりました。
この募金の話を持ってきて下ったI氏に「一人の男の子の命が懸ってるんですもんね!頑張んないとね!でもIさんは素晴らしいですね~!仕事以外でこういう活動もされて・・・。」と言いましたところ、少し照れながら「いや~、工藤さん、禊ですよ!み・そ・ぎ・・・。我々はどうせ罪を犯して生きてきたんだから、こういう形で罪をおぎなわんとね~!」とおっしゃいました。(よっ!、Iさん、カッコイイ~!!)
そう・・・。
でも、生まれてこのかた「誰にも嘘をついたことがない」っていう人、いるでしょうか?! 動物の殺生をせずに育った人もいるんでしょうか・・・?!
おそらく誰にも迷惑を掛けずに生きてきた人なんていないんですよね・・・。
だから「これは禊なんだから、あ~たもやりなさい!」なんて言わないけど、できる人ができる範囲で協力してそれで助かる人がいる社会っていうのはいいと思いました。
募金が終了した後、I氏が「ある意味、これは命のリレーなんですよね!また次の子に繋げていかないとね!」とおっしゃってました。
この「命のリレーずっと続いていくといいなぁ・・。」と思う今日この頃でした。
〈あと・・・がき・・・・〉
非常に残念なことに、1~2か月ほど前、けいたくんと同じ「突発性拡張型心筋症」だった女の子が、心臓の提供者を待ちながらとうとう亡くなってしまいました。
ご両親は傷心を抱えつつ「同じように臓器移植を待つ方々の為に」と娘さんの臓器提供の申し出をされ、その子の殆どの臓器が必要とされる方々の体に移植されました。
つい半年くらい前だったでしょうか。交通事故で亡くなったお子さんの臓器提供の申し出をされたご夫婦が「13歳(15歳でしたっけ?!)以下の子供の臓器提供を申し出るのは日本で初めてです!」とのことで、その話題が連日ニュースで取り出されましたが、今回は2回目でしたので実にさらっとニュースで流れました。
まぁ、ご両親のお気持ちを考えるとあまりしつこく報道されるのは煩わしいばかりでしょうが、日本初の子供の臓器提供ということになると、もの珍しさでしつこく報道されたかと思いきや、今回は2回目だったので実にさらっとしていて・・・「はぁ~・・・さすが日本のマスメディアだわ・・・。」と皮肉りたくなってしまうわたくしがおりました。
皆さま、新年明けましておめでとうございます!
旧年中はお世話になりました。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
最近、若い方も中年もお年寄りも、結構「感謝」と言う言葉を使われるようになったと思います。
これって、とっても素敵なことですね~。
以前私は経営者が学ぶ為のある早朝セミナーに所属してました。
5年ほど前のある日、師崎会場での早朝セミナーが終わってから、会場の屋上で1人海を眺めてました。
そこに20代後半の男性(その会場に仕事でお見えになった方です。)と偶然お逢いして、世間話になりました。
その時、『感謝』の話になり「本当に色んなことに感謝ですよね~・・。」と、意気投合したのですが、その時その男性に「感謝って目に見えて分かることにも感謝することなんですが、本当は当たり前だって思ってることにも感謝することなんだそうですね。」と、言われて、目から鱗が落ちる思いをしたことを今でも覚えてます。
そう、「当たり前だって思ってる事にも感謝する」って、意外と出来てるようで出来てないかも知れない!!って思いませんか!?
「おひさまが昇ることに感謝」「屋根のついた家で寝れること・・・」「誰かに襲撃されるかも知れないっていう不安を感じないで生活できること・・・」「食べたいものを食べたい時に食べられること・・・」「こうしてパソコンを打つことのできる自由に動く手・・・」(ゴツイから嫌だ!なんていっちゃあだめですね。)
そして・・・「自分を産み育ててくれた両親や支えてくれている(支えてくれた)人達」
最近よく思うのですが、「いろんなことに感謝する人って、より幸せになれる」ような気がするんですね・・・。
そして、感謝することによって、素敵なことがどんどん降りそそいできて、より運が良くなるような気がします。
私はこの一年間、寝る前にお布団の中で、今上に書いた事や、私を支えて下さる人達、そして目に見えない存在(私を守ってくれているご先祖さまや亡くなったご縁のあった動物達、それとこの仕事のガイドさん達)にお礼を言ってから寝るようにしています。(仕事の後、飲んだくれて化粧も落とさずに寝ちゃう時は出来ないんですけどね。)
そうしたらどんどん良い事が起こって・・・良い人達と巡り逢い・・・そしてより感謝して・・・・の繰り返し(好循環)になりました。
「あ~あ・・・。なんで私の人生ってこうなんだろう・・。」と嘆く方がいらっしゃいましたら、一度この方法を試してみてください。
コラムでは良い事ばっかり書いているように見えるかも知れませんが、かく言う私も、若い頃は「生きていても仕方ないな~・・・。自分の存在って何なんだろう。」と思ったり、ついこないだも「一生懸命生きてるつもりなのに、何でこんなことになっちゃうのかしら・・・。」と嘆くこともありました。
でもちょっと視点を変える事によって、方向が変わって来たように思います。
この方法は、色んな「しあわせになる方法の本」に載っているかも知れませんが、私が試してみて、一番確実な方法でした。
と言うことで・・・今年も、動物達も皆さまも元気で幸せな一年になりますように~・・・。
以前『喪の作業』と言うコラムを書きました。
「ある時、重度の糖尿病の猫ちゃんが入院していて、私としては一生懸命治療させて頂いたにも拘わらず、明け方合併症で亡くなってしまった。だが、亡くなって数日してから飼い主様が来院され、その子が亡くなったのは、病気のせいではなく獣医の治療過誤ではないか!?との事でカルテを見せるように言われた。それでカルテをお見せしながら経過をご説明したら(実は亡くなった時もご説明はしたのだが)、ポロポロと泣かれてふ~っと一息つかれた後、納得されてお帰りになった。」と言う話です。
この時、私の中では「Aさんとは厚い信頼関係にあったと思っていたのに、なぜ?!」と言うショックの様な感情が残っていました。
そこで、たまたま精神科医の先生とお話する機会がありましたのでその先生にご相談したところ、それは『喪の作業』というものだと言われました。
自分の愛すべき対象が亡くなってしまった事を認めたくなくて、無意識のうちに憎むべき対象を見つけてその悲しみを受け入れられるようになるまで、その対象を憎むことだそうです。
その『喪の作業』のコラムはムサシの死後少ししてから書きました。
そしてその後続けて「実は私もムサシを亡くしてその飼い主様と同じことをしてましたの!」なんて書くつもりでした。
でも・・・今日までその事をコラムに書くことが出来ませんでした。
なぜなら「それを書くことによって、そのスタッフを傷つけるのではないか?!」と言う懸念があったからです。
それと同時に私の中でも「まだまだ未解決だった」からだと思います。
そして思わぬところで、息子と話をしてようやく私の『喪の作業』は終息に向かいました。
長い年「病気で苦しむ子達のお役に立てたら」とか「病気の子の飼い主様の伴走者になれたら」という思いで治療させて頂いてきたつもりでした。
ですが、去年ムサシを亡くしてようやく‟大事な子を失った飼い主様の気持ち”を身を持って知りました。
もし、大事な子を失って、「ペットロス状態になってる私は変なのかしら?!」と思ってらっしゃる方がみえたらどうぞ安心して下さい。
幼い頃から自分の動物たちとの別れを経験し、そして多くの患者さんと飼い主様とのお別れにも立ち会わせて頂いた私もこうしてペットロスになりました。
存在が大切であれば、それは当たり前の事なのです。
後は、時間が掛かってもいいので、その子の事を思い出しながら、そして感謝しながら少しずつでもお元気になって頂けたら、きっとその子達もホッとしてくれることだと思います。
そう・・・きっとムサシも今頃はホッとしてくれていると思います。
今日(12月11日)は、我が家の家族の一員であり、病院の供血犬でもあったムサシの命日でした。
ちょうど、去年の今日の朝、ムサシは1人(一匹)で旅立っていきました。
私は10年ぐらいの間、ずっと温めていたコラムのテーマがありました。
温めていたというよりも、「書きたいけど書けなかった。」と言う方が正しいかも知れません。
この仕事を通して「重い病気の動物達は、自分が死ぬ時期を知っている。だからこそ大好きな飼い主さまが出かけていれば、帰ってくるまで精一杯頑張って、飼い主さまの顔を見てからほっとして亡くなる子が多い。」ということを多くの動物達から学びました。
本当にそういう子が多いのです。
その経験から “動物達の直感力の凄さと飼い主さまへの愛の深さ” は相当なものだと感じていたので、この事をいつかコラムに書きたいな~と思ってました。
でも今まで書けませんでした。
それはなぜか・・・。 なぜなら、心の底からその子の最期(死に目)に逢いたいと願っていてもその子の最期に逢えなくて悲しい思いをされた飼い主さまだって沢山いると思ったからです。
そしてその「大事な子の最期に逢えなかった飼い主」の1人がたまたま去年の私でした。
それはおそらく「たまたま」ではなかったのでしょうね・・・。
「多くの起ることに偶然はない」ような気がしますので・・・。
ムサシは亡くなる3週間前から、衰退の一途を辿っていました。
あんなに好きだったおやつに目もくれず、顔はこけ、下半身がふらふらになり、立って排泄するのもやっとでした。
体中の臓器が癌に侵されていたのです。
仕事に行く時もセミナーで東京に行く時も・・・「ムサシ、行ってくるよ!」と声を掛け、内心「帰って来るまで生きててくれるかなぁ・・・。」と思いながら出掛けていました。それでもムサシはいつも気丈に私達を玄関で見送ってくれていました。
とは言え、最期の日の朝は、“ムサシの灯”が消えそうな予感がしていました。
そう・・・あの日こそは、死期が近いのを感じました。
その日の午前中の鍼灸の予約は朝9時から1頭だけあり、その後は入っていませんでしたので、その1頭だけ治療したらムサシに逢いに一旦家に帰るつもりでした。
ですが、運の悪いことにその日に限って遠方から来る獣医師が渋滞に遭い遅れるとの連絡が入りました。
私がそこで抜けたら、3頭の患者さんがいらしたので、その患者さんと飼い主さまをもう一人の獣医師一人で診る事になり、患者さん達をお待たせしてしまうことになってしまいます。
その時あるスタッフに「先生、今抜けられては困ります。」と言われました。
私は、「今日こそはムサシ本当にヤバイんだわ・・・。」とだけ言いましたが、そのスタッフの言葉にはなぜか逆らえませんでした。
「院長たるものは自分の犬の病気如きで患者さんをほったらかしにしてはならない!」と思ったのでしょうか・・・。
幸い重症患者さんはいなかったので、そのうちの1頭を治療させて頂いてから大急ぎで家に向かいました。
その途中で携帯が鳴り・・・ムサシの死を夫から告げられました。
夫はこの日はずっと家に居たのですが、ふと目を離した隙にムサシは誰もいないところで1人で息を引き取ったということでした。
ムサシの亡骸を見て、私は我を忘れて泣きました。
少ししたら次男も東京から帰って来て、二人で声が枯れるまで泣きました。
ムサシを亡くした悲しみと共に 「なぜ?! なぜ?! なぜ・・・?!! なぜムサシは私の事を待っててくれなかったの?!」との思いがいつまでも強く残りました。
そして、それは心の闇となり、怒りに変わっていきました。
そうなのです。 「あの時なんで彼女は、先生!最期かも知れないんでしょ!! ムサシ君に逢いに行ってあげて下さい。後は何とかなりますから!って言ってくれなかったの!? 私だったら絶対そう言ってあげるのに・・・。」と、そのスタッフへの怒りがふつふつと沸いてきて・・・その後しばらくの間、顔で笑ってはいても心の中ではその思いが消える事はありませんでした。
それから数か月経ち・・・ある日息子と車中でしゃべっているうちにある事に気づかされました。
ムサシの最期の話になった時に、私は彼にこう言われました。
「それは母さんが選んだんだらぁ~・・・。いくらその人がそう言ったって、院長なんだから帰る事も出来ただらぁ~・・・。」
・・・正直、はっとしました。
私は、「自分で選んだ人生のくせに、うまく行かなかった時に他人のせいにして逆恨みする人」を心から軽蔑していたのに、実は同じような事をしてたんですね・・・。
そうなのです! そのスタッフのせいじゃなかったのです。
その時に病院に残ることを選んだのは、この私だったのです。
息子の言う通り、その時重症の子はいなかったので、本当は強引に帰ろうと思ったら帰る事はできたのです。
それをしなかった私は、それが‶院長の責任”だと思っていたのか、逆に私の心の弱さなのか、はたまた “自分の心に従って生きていけていないせい”だったのか・・・。どれも当てはまるような気がします。
そして、息子にこうも言われました。
「ムサシは、みんなに死に際の顔を見せて辛い思いをさせたくないから、敢えてみんなが居ない時を選んで死んだんだよ。きっと・・・。」と・・・。(ううう・・・。)
因みにその息子とは、しょっちゅう親子喧嘩をしているので「教育法を間違えたかしら・・。」と思っていたところも多々ありました。(そう思うところが私のエゴも入ってますが・・・。)ですが、息子は息子なりに成長していたんですね。
「負うた子に教えられ」とは正にこの事です(苦笑)。
ムサシの事を思い出すと、私の涙腺のスイッチが押されて・・・今でも涙がこぼれます。
もう、ムサシの温かい身体に触れる事もなく、お灸をしてあげることもないのです。
でも、ムサシには沢山の愛をもらったし、今もムサシを近くに感じています。
不思議なことに、4年近くアニマルコミュニケーションとして、ご縁のある動物達と会話させて頂いているのですが、なぜかムサシに最期のことを聞くことが出来ないのです。
聞くのが怖いのかも知れませんね・・・。
時期が来たら、ローレン先生にお願いして、ムサシの思いを聞いてみたいと思います。
獣医ではありますが、やはり私も一飼い主でした。
ムサシを通して動物達の存在の大きさを再認識し、そして少し恥ずかしい話でしたが自分の思わぬ内面に気付き、こうして学ばせてもらいました。
最愛なるムサシと喧嘩相手の?!息子に感謝です。
今週からまた寒くなるとのこと…。
毎晩ケン(我が家の愛犬、16才)におしっこをさせる為に勝手口を開けてケンを外へ出す。すると、我れ先にと蝿(ハエ)が入ってくる…。蝿達は寒いから我が家の勝手口が開くのをいつも戸口の側で待っているのだ。毎年この時期に見られる我が家の光景である。「うるさい」と言う形容詞を「五月蝿い」と書くが、私から言わせるとうるさいのは五月の蝿ではなく、今の蝿である。
我が家は晩御飯は殆ど家族バラバラで食べるので、おかずなど少しでもラップをかけないでいると、この時期は何匹もの蝿がたかってしまう…。なので私は「ごめんね!」と謝りながら、三匹くらいは一回に殺す。ごめんね!と言っても殺すのには変わらないわけであり、一体私は何匹の蝿や蚊…ひいては経済動物と言われる家畜を殺して食べて来たんだろう…。
それは本題からずれるので一先ず置いといて…昔から思っていたのだが、あれだけ傍若無人に?振る舞う蝿だが、ひと度蝿叩きを握ると、すぅ〜っと何処かに消えてしまう。一振りでもしようものなら真剣に逃げる。
命が懸かってるから当然なんだけど、何が言いたいかって?!そう…無脊椎動物の彼らは、恐らく犬・猫・兎・ハムスター・鳥達と比べたらシンプルかも知れないが、色んな事を考えながら生きているのである。
だから…だからお願いだから動物達を虐待するのは止めて欲しい!
そして病気になったら出来る範囲でいいから、その子の苦痛にならないレベルで治療をしてあげて欲しい。
彼らは口が利けないだけであり、多くの子は「飼い主さんが笑顔で幸せでいてくれたら私も幸せ!!」と思っているのである。(と、日頃臨床をしていてそう思う。)
もっと言えば、多くの子は一見飼い主さんに甘えているようで、実はいつも気を遣って生きていて…飼い主さんが悲しそうだったりストレスで辛そうにしてたりすると、静かにそっと寄り添いながら心配しているのである。下手をすると心配し過ぎて彼らは病気になったりする。だが…病気になって飼い主さんに心配され過ぎると、逆にその病気が治りにくくなってしまうこともある。はぁ〜なかなかそこいら辺のバランスを取るのがムズカシイところではある…。
そう、だから何が言いたいかって(二回目でした(^o^;))お願いだから、ご縁があって家に来てくれてる動物達を大事にしてあげて欲しいって事。
蝿達を殺している私が言うのも大きな矛盾があって、何なのだが…。