院長コラム
先日、私は大阪に用事がありましたので、その後堺市で鍼灸院をしてらっしゃる国分龍彦先生の所に行って参りました。
国分先生は、鍼灸院をされる傍ら香港聯合(ほんこんれんごう)中医薬学院の教授であり、私が3年間通った獣医中医薬学院の最高顧問でもあり、温雪楓(おんせっぷう)先生の教えを継承する勉強会(師温会)の会長もお勤めになられてます。 私の様な者からすると、国分先生は言わば「雲のそのまた上の存在」の方になります。
帰り際、国分先生が 「工藤先生、せっかくここまで来たんだから、戎神社(えびすじんじゃ)に行かれるといいですよ!」と言って下さいました。
よくよくお尋ねしてみると、午前の治療が終わり次第、国分先生も行かれるとの事でしたので、「それじゃあ私もお伴させて下さい!!」ということになり、先生の治療が終わるまで、適当に時間をつぶしてお待ちしてました。 ちょっと?強引にお願いした感じでしたが・・・(苦笑)
戎神社に着くやいなや、お参り道はいろんな出店がいっぱいで、それを見ながら歩いているだけで「氣」が上がるのを感じました。何て表現したらいいんでしょう~・・・そう、そのエネルギーを受けるうちに私の内側のエネルギーも湧き上がって来る!っていう感じですかね~。 楽しいと頬も緩み、いろんな心配事も消えてなくなるもんなんですね。
そんな私をご覧になりながら、国分先生が「工藤先生、楽しいこともせなあかんですよ。人生ケセラ・セラだからね!」とおっしゃいました。
「ホント・・・そうですね~・・・。」と私。
神社の境内に入ると、お祭りの時によく聴く、あの「チャカチャカチャカ・・・」の音と共に、「まんが日本昔ばなし」に出てくる市原悦子さん風の声で『商売繁盛、笹持ってこ~い!』という音声がずっと流れてました。 みるみるうちに人が増えてきましたので、とにかくはぐれない様に国分先生にくっついて歩き、お賽銭箱にお金を放り投げてから、宮司様から笹を頂き、その後巫女さんにお札と升を付けて頂きました。(升は益々繁盛しますように!という意味があるそうです。)
少し出店をあるいたところに屋台がありましたので、国分先生からお酒と焼き鳥をご馳走になりました。(11月からずっと断酒してますが、こういう時は頂くことにしています。)
お正月の屋台だったからでしょうか?!頂いたお酒と焼き鳥は格別の味がしましたね~!
この正月は初詣にも行きませんでしたので、予想外の戎神社への参拝と国分先生との新年会?で、私は新年早々かなり得をしたと思います!・・・「神様、ありがとうございます!」って感じでした(^^)。
その後国分先生が毎年お買いになっている「焼き銀杏」のお店を一緒に探したのですが、いくら探しても見つかりませんでした。
でも、お店が見つからなのかったお陰で、探している間中ずっと国分先生のご経験談や人生観などをお聞きする事ができ、先生の優しいお人柄にも触れ、何にも代えがたい貴重な時間を過ごすことが出来ました。
国分先生~、この度はありがとうございました(^^)! 癖になりそうなので、今年の笹とお札と五円を持って、来年もお邪魔するかも知れません。その時はどうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m。
この度、国分先生にお逢いして、「1頭でも2頭でも多く、鍼灸等で元気になってもらって、患者さんと飼い主様の笑顔が見れるように心新たに顔晴ろう!!」と思いました。
そう・・・私が臨床をしている限り、いつまでも成長しなきゃ!なんですね~!
長いコラムになりました。 最後までお読み下さいましてありがとうございました。今年も皆様にとって素敵な一年になりますように~☆彡
内尾先生のご著書(オーラが輝く魔法の言葉)には、「何があってもありがとう」と書いてあります。
以下はその本の抜粋です。
世の中の人たちは、感動の氣持ちを表すときや、自分が得したことがあると「ありがとう」と言いますが、本当は何があっても 「ありがとう」なのです。 「ありがとう」という文字は、「有り難う」つまり「有る」ことが「難」しいと書きます。
しかし、「難」と「有」を使って「難があっても、有り難う」と読むこともできますね。 自分がピンチを迎えたときに「難が有っても、ありがとう」と思う氣持ちになると、氣分が落ち着いてきます。・・・中略・・・「難があっても有り難う」は「何があっても有り難う」につながります。そしてこの「何があっても有り難い」を続けていくと、ムダがなくなっていきます。 また「何があっても有り難い」に行きつく先は、「自分に有り難う」「自分の人生に有り難う」になります。そう考えることができるようになると、不平不満そのものが消えてなくなります。
「ふ~~ん・・・。」と納得しながら読んでましたら、ある日事件が起きました。
ここでは具体的な事は書きませんが、その方々の言動を見て、不快感も少し感じましたが、それ以上に「は~ん・・。世間にはこういう人達もいるんだぁ~・・。」という驚きに近いものを感じました。 と同時に「そうやって考えると、私の周りにはなんて温かい人ばかりなんだろう~。」という事を改めて実感したんですね~。
そこで内尾先生のこの言葉を思い出したのです。
「本当に何があっても有り難うだな~・・。」と。
『何があっても有り難う』・・「嫌な思いをしたらその人にありがとう。 同じ思いを他人にさせないように気をつけるきっかけになりました。 そして素敵な人に恵まれていることにも改めて感謝する事が出来ました。そういう風に感じることが出来るようになった自分にもありがとう。そしてこの事を教えて下さった内尾先生にもありがとう。」です。
ところで、その事件の前にお会いした鍼灸師さんと獣医さんが同じことをおっしゃってました。
「同業者には腕はあっても自意識過剰で高慢な人が多い!」とのこと。
その時に「え~?!私の周りにはそういう人、全くいないですよ!」とお伝えしたら、二人とも納得できないような顔をしてみえました。
そうなんです!「実るほど頭を垂れる稲穂かな。」じゃないですが、去年まで通っていた獣医中医薬学院の先生方も鍼灸の勉強会の先生方も、そして遠隔治療の勉強会でお逢いする鍼灸師・接骨院の先生・医師の先生方も素晴らしい治療をしてらっしゃいますが、そんな方は一人もいらっしゃらないんですね。
そんな話になった後で、内尾先生のご著書を読み、そしてその事件が起きたのでした。
生きていればプラスの事もマイナスの事もあるわけで・・・でも一見マイナスの事の様に思えても、その中には反省や新たな学びがあったりして・・・そうやって人は死ぬまで成長しつづけるものなんですね。
だから、あらゆる事に感謝なんですね。こうしてこの長いコラムを読んで下さっている方々にも感謝です。
今日もありがとうございました(^^)。
皆さま、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
いろいろな所に出掛けて、いろいろな方からお話をお伺いすると、その度に考えさせられる事が多く、自分の世界観も変わります。
「このことにもっと早く気づいてれば、私の人生ももっといいものになってただろうになぁ~・・・。」と思うこともありましたが、いろいろあったからこそ気づくこともあるわけですし、「人間の成長に遅すぎるって事はない!」と思います。
もともと完成された人なんていないですし、未完成だからこそいろいろ学ぶ為に生かされているのかも知れませんよね。
だから「人間、死ぬまで成長!」なんですよね!
生きていれば誰にでもいろいろな事があるように、私にもいろいろな事がありました。何年もの間「一生懸命生きてるつもりなのに、なんでこんな事になっちゃうんだろう・・・。」というやり切れない気持ちと怒りの感情の持っていき場がなくて、そのストレスが全部自分の身体に来てしまってました。
肝と腎が傷んでたのですね。(東洋医学的に言うと肝は怒りの臓器になります。腎の弱さは元々の私の証です。これに関しては後々よもやま話でお話しますね。)
去年の秋、遠隔治療のご縁で内尾政明先生にお逢いした時、「工藤さんは、長い間の怒りが肝に来てますね。」と突然言われて、びっくりしました。 その後、内尾先生のご著書(オーラが輝く魔法の言葉)を拝読して、更に「目から鱗」になりました。
内尾先生から話は飛びますが、二年前にも不思議で素敵な出逢いがありました。
私がやっている遠隔治療(宝石光線療法)の宝石の数を増やしたいと思っていた矢先に、ある方から林佐帆子さんという石と対話のできる方をご紹介して頂いたのですね。
その方のセッションを受けた時「酷いことをされたら、まず自分の怒りの感情を見つめて受け入れ、その怒る自分を許そうね。そしてその後その人に‟無条件の愛”を送りなさい。毎日だよ!心は込めなくていいから形だけでいいからやってみて! そうしたら必ずいろんなことが変わってくるから。」と言われました。
実は6年前から私は毎朝うちの病院に来られる動物たちと飼い主様、スタッフ、お世話になっている方々、家族、そして自分自身に‟無条件の愛”を送っていました。
佐帆子さんに言われた事に対して抵抗があった事は否めませんが、一先ず言われた通りその方々にも‟無条件の愛”を毎日送ってみました。
すると・・・不思議なことに周りが少しずつ変わり始めました。 思わぬ方々から助けて頂いたり、「逢いたいな~」と思ってた人に出逢えたり、諦めていたセミナーに出ることができたり・・・運がどんどん良くなるのを感じたんですね・・・。
その後秋にお逢いしたのが内尾先生でした。
やっとここで内尾先生のお話になりますね!
ちょっと長くなりましたので、続きはその②でお話しますね!
寒かったり暖かかったりの繰り返しですが、皆さま体調を崩されませんようご自愛くださいませ。
この7月で17歳になる我が家のケンは少し心配な状況になりましたが、鍼灸治療で一旦復活しました。
新しく来たリリーちゃんも元気です!
それではご機嫌よう~!(^^)/。
同業者の方なら私と同じことをお感じになったことがあると思いますが、一度人間に捨てられて傷ついた動物達が、その後優しい飼い主様に愛情いっぱいで育てられると、彼らの顔つきはどんどん変わっていきます。
飼い主放棄されて動物保護管理センターに連れていかれて、そこでやっと新しい飼い主さまの所に来た時、新しい飼い主さまがその子を健康診断の為に当院にお連れになることがあるんですね。その時は、体中から‟不安いっぱいオーラ”を出しているのですが、数か月~一年経ってワクチンで来院された時は、どの子も雰囲気がかなり変わっています。
きっと「飼い主さまに愛されてる!自分は必要とされている!」っていう安心感から心がほかほか状態になるんでしょうね・・・。 以前より明るい表情になり、自信に満ちた顔になります。
動物は人間の言葉をある程度理解できても、その言葉を話すことが出来ません。
ですが、「今、どういう状態なのか?!」「この子は飼い主さまから可愛がってもらってるのか?!」って事は、顔を見れば大体分かりますよね!
それは人間も同じなんでしょうね・・・。
‟とにかく愛の力はすごい!”と思います。
私はこの仕事を通して多くの患者動物や飼い主様から「人も動物も愛が必要である」事を学ばせて頂きました。
人が動物や人を虐待したり殺したりして、耳を塞ぎたくなるようなニュースが流れている昨今、飼い主さまの話をお伺いしていると、ホッとしたり頭が下がったりします。
そして私達が動物達に愛情を注いでいるだけでなく、逆に彼らからも多くのものを私達はもらってもいるんですね。
ある方は「この子がいてくれるから、お姑さんと嫌なことがあっても我慢できるんだよね~。ホントお散歩の時間が私の癒しの時間なんだよね・・・。」とおっしゃってました。いちいち言葉にはしませんが、誰もがいろんな問題を抱えながら生きていて・・・でもその方を癒すのに動物達が一役かってる事ってあるんですね。
また先日鍼灸治療でお見えになった李さんは、長年犬の里親探しのボランティア団体のお手伝いをしてらして、新しい里親が見つかるまでの間、ワンちゃんを預かってらっしゃるとの事・・・「李さん、お忙しいのに偉いですね!」と言いましたら「ううん~・・。私はワンちゃん達にいっぱい貰ったから、ただ、恩返しをしてるだけだよ!」と仰ってました。(おそらくいっぱいもらったのは、‟愛”なんでしょうね・・・。)
余談ですが、なんとぉ・・・。その中の一頭が近々我が家に来ることになりました!(笑)
これからも、人と人、人と動物が愛のエネルギーをいっぱい交換して、より充実した素敵な人生、犬生(猫生、兎生、鳥生etc・・)を送っていけるといいですね~(^^)!
先日、Facebookで繋がっている鍼灸学院時代の同級生・星野先生の投稿(シェア)を見て共感して私もその投稿をシェアしました。
「NPO法人FUKUSHIMAいのちの水」という東北大震災直後に立ち上げられた団体が、「福島の子供たちが4年経った今でも放射能に怯えている現状」をアメリカに伝えに行ったところ、アメリカの団体から「シリア難民支援」の要請をされたとのことでした。
「FUKUSHIMAいのちの水」のHPで代表の方が「我も彼も助けねばなりません。ギリシャの海に溺れた幼児の映像が世界に流れました。
もう、やめなければなりません。子供を死なせないようにしましょう。奪うことをやめて、与える文化を作ってゆきましょう。
子供達に冬を越す衣服を。乳児にミルクを与えましょう。それが当たり前なことですから。
国が出来ない時には、市民が市民を助けるのです。母親が母親を助けるのです。どうぞ、力を貸してください。」とおっしゃってました。
お恥ずかしいことに、その投稿をシェアしたのは良いけれど、日々の生活に追われいて、すっかりこの事を忘れてました!
こないだの日曜日、お酒と甘いものを断った私はガブガブサイズになった服を整理していくうちに「あれ~?!もしかして今からでも間に合うかも?!」と思い起こして、長年タンスの肥やしになっていた毛糸の帽子やマフラーを取り出して、箱に詰めて送りました。
「シリアの方々がこの帽子をかぶって少しでも寒さをしのいでくれたら嬉しいな~・・・。」と思います(^^)。
そんな話を友達にしたら、「ゆりちゃんは偉いね~。」と言われました。でも全然偉い事なんかしてるんじゃないんですよね。
東北大震災だってそう・・。たまたま東北で起こっただけで、どこであの大震災が起きても不思議じゃない。今こうして当たり前の様に自分の家で暮らしてますが、もしここ愛知で起きてたら、私も被災者だったでしょうし、今も仮設住宅に住んでいたかも知れません。
だからシリアの事もおんなじでなんです。もしかしたら私はシリアに生まれていて、子供にひもじい思いをさせて辛い想いをしている母親の一人だったかも知れない・・そう思うと出来ることをしたいな~って思うんですね。・・・な~んて、日曜日まですっかり忘れてた私がこんな事を言うのもおこがましいところもありますが・・・。
世界中の人みんなが戦争もテロもない、飢えも偏見もない・・・心から笑顔で過ごせる・・・そういう日が来ることを願って止みません。
私は、人とお話していて、「この方はこういうところが素敵だな~!」と思うと、素直にそのことを口に出すことがあります。
そうすると、大概の方は、「いいえ・・・。私はとてもそんなんじゃありません!」と少し否定的におっしゃいます。
それは一見謙虚っぽく見えますし、日本人同士はそいう風に言っといた方が無難なので、それが癖になっているところもあるかも知れません。
でもよく観察してみると本来の謙虚さとは違い、その言葉の根底には「こんな自分は好きじゃない!こんな自分なんか愛せない!」というものがあるように思うのですね。
傍から見ると、「こんなに素敵な方なのに、なんでそんなに自己否定されるんだろう??」と思うんですけどね・・・。
っで、なんでそうなっちゃうのかな~?!って考えると、幼少の頃から「あなたは今のあなたのままでいいのよ。大好きだよ!」という‟無条件の愛”を親から受けられなかったことにあるのではないかって思うんですね。
口に出さずとも、「ここまでの成績を取ったら(私の期待に応えることが出来たら)、お母さんの子供として認めてあげる。」的なところが育てる親の方にあったりして、それをずっと植え付けられて育ってしまったので、「このままの私じゃあダメ!もっともっと頑張んなきゃ!」という自己否定的なところが出来てしまうんだと思います。
でも、動物と私達ってどうでしょう~?!
私たちは、ケンやクッキーやモコちゃん、はなちゃんに、「こうしないとあなたはうちの子って認めないわよ!!」なんて言いやしませんよね!?
そしてこの子達も、「こうしてくれないと私はあなたの家族(犬・猫・ウサギ等)にはなってあげません!」なんて事言わずに無条件で私たちのことを愛してくれますよね!
そうやって考えると、動物の方が人間よりもずっとピュアであり、逆に動物から学ぶことって結構あるように思うんですね。
彼らは「傍にいてくれるだけでいい!」「元気で生きててくれればそれでいい!」「いつもありがとう~!」っていう気持ちにさせてくれますもんね。
だから、そういう風に目の前のお子さんの事も‟無条件で”愛してあげて下さい。
そうすることによって、あなたのワンちゃん猫ちゃん達が元気でいてくれるように、お子さん達もきっと元気でそして自分の事を大好きでいられる(自己肯定的な)素敵な大人になるはずですから・・・。
開業して21年になりますが、この仕事を通じて学ばせてもらったことがいくつかあります。
その中の一つは、動物たちが私達と暮らしている間に、ある一つの「愛のエネルギーのようなものを私達と交換してるのではないか!?」って事です。もちろんそれは普段意識してないだけで、人と人の間でも交わされていることでしょうし、動物たちと一緒に暮らしている人や動物に関わる仕事をしている人の多くはそういう事を感じているのではないかと思います。
5年ほど前に、私に「アニマルコミュニケーションをしたらどう?!」と勧めてくれた友人がいました。
それでその後ローレン先生に師事して今があるのですが、その後その友人の勧めもあって、チェコ人のヒーラーの方の個人セッションを受ける機会に恵まれました。
能力の差こそあれ、世界中に「第三の眼」が開眼してる人は数多くいると思いますが、そのセッションを受けてその方は相当能力の高い方だと思いました。
なぜなら、彼は私の顔を見るなり、私の生い立ちからその時の状況までどんどん言い当てましたので・・・。
その方曰く「あなたは小さい頃から両親の愛を受けることが出来ずにずっと淋しい想いをして来た。なのでいつも犬と愛のエネルギーの交換をして来たのだ。だからあなたは今の仕事をしているのだ。」との事でした。
私の父は私が幼少の頃から産業動物(乳牛)の獣医でした。とにかく当時は食べることだけで精一杯でしたし、ものごころついた時も仕事をする父中心の家でしたので他人の出入りも多く、家庭的な雰囲気は全くありませんでした。
ただ、当時は小動物の動物病院が少なかったので、父が往診に行くと酪農家さんに「ついでにうちの犬も診てくれんかねぇ~?!」と言われるので、病気の犬を父が連れて帰って来ることがよくありました。そして気がつくと「まぁ、そのまま飼ってくれや!」と言われて我が家の犬になることも結構ありました(笑)。
ですので、私自身ものすごく犬にハマってるという自覚はありませんでしたが、4才の頃毎日保育園に送ってくれる大きな犬がいたり(あの頃は放し飼いでしたのでそれが出来ました。)その後も今日に至るまでずっと犬達と共に過ごしてきたのですね。
先日(9月27日)は、研究科も含めて三年間通った動物の鍼灸学院(日本獣医中医薬学院)の卒業式でした。
我が子の卒業式で泣いても自分の卒業式では一度も泣いたことのなかった私でしたが、卒業式で山内健志校長に賞状授与して頂いた時から校長が祝辞を終えるまで、お恥ずかしいことにずっと涙が止まりませんでした。
私は今回のことで初めて知りました。
「悲しい・悔しい・嬉しいという感情だけじゃなくて、感謝してるってだけでも人間ってこんなに涙が出るもんなんだな~。」と言うことを・・・。
とにかく「もういい加減に涙止まって~!!」っていう自分の意思に反して、どんどん涙が溢れてきたんですね・・・。(3人の息子達に知られたらまた笑われてしまいそうですが(苦笑)。)
涙のわけ・・・というと変ですが強いて言わせて頂くとしたら、もともとは10年前に学院の基盤となった「小動物中医学研究会」から始まり、お忙しい中を山内校長が学院建立の為にあっちこっち奔走され、奥様や他の先生方のご協力もあって、やっと4年前にこの「鍼灸学院(日本獣医中医薬学院)」が出来上がったわけなんですね。
それまでのご苦労を知ってるだけに、「山内先生たちのお陰で今の私があるんだな~。」と思うと本当に感謝の気持ちでいっぱいになったんです。(もちろん家族やスタッフ達にも感謝してますが。)
この卒業式で一応一区切りつきましたが、「今日で終わり」ではなく「今日が新たな始まり!」だと思って、先生方に教えて頂いた教えを守って生かしながら、ぶれることなくいつも真摯に治療させて頂こうと誓った一日でありました。
日本獣医中医薬学院の同級生はいろんな年齢が入り混じっているのですが、二期生の仲間は本当にいい人達ばかりで、そんな人達と三年間一緒に学べたのも私にとって超ラッキーだったと思います。
とにかく感謝と感動の一日でした。(^^)
私達は、誰もが目的を持って生まれて来ていると思います。 そして誰もが必要とされていると思います。(そのことに気づくのに時間が掛かってしまって、いろいろ悩んだりすることもあると思いますが・・・。)
そしてその目的をなす為に、目には見えない道が敷かれていて、その過程にはいろんな試練があったりします。
その時は辛いのですが、後で考えると「な~んだ、その為にその試練はあったのか!」・・と納得する・・・という経験、皆さんありませんか!?
私の場合、たまたま次男・三男が幼少期に酷いアトピーだった為、開業して4年目に春日井の漢方医の先生(故宮崎雅敬先生)の所に通い、その先生が勧めて下さった勉強会で京都の堀田先生と出逢い、そして福島の故氏家(うじいえ)氏から瞑想を習ううちに偶然?「宝石光線療法」をすることになりました。
そして、当院の副院長水出先生と多治見の校條均先生から頂いたご縁で、鍼灸の山内健志先生に出逢うことが出来て今があります。
「はい!ここでおしまい!」と言いたいところですが、去年私にとってちょっとした試練があり、堀田先生にご相談をしたのを機に「テラヘルツ波の勉強会」に入る事になりました。
前回のテラヘルツ波の勉強会の時 「今度の勉強会は温泉でやりましょうか!」という話になり、先日(9月5日・6日)有馬温泉に行ってきました。
いつもの大阪のセミナー会場から車でたった45分の所に、こんなに素敵な温泉があったなんて~・・・景色と言い温泉の湯と言い本当に感激しました。
一日目は、新納(しんのう)理事長のセミナーの後、会員の症例報告になり、その後懇親会がありました。
懇親会での堀田先生の最初のご挨拶を始め、その後いろいろな先生方のお話をお伺いしているうちに、それぞれの先生の治療に対する熱い想いが伝わってきて、私自身とてもいい刺激になりました。
身体に優しい「鍼灸治療」と共に「宝石光線療法」や「テラヘルツ波」を通じて、動物たちが心身共に良くなってくれて、それを見られた飼い主さまも元気になって下さったら、そんなに嬉しいことはありません。
「これらの治療をもっと極めていこう!」と強く感じた一日でした。
(この会は、医師、鍼灸師、接骨院の先生、獣医師など、臨床に携わっている方々の集まりです。今のところ、獣医は私一人ですが・・・。)
気のいい空間で、気のいい方々と勉強をし、その後美味しいお酒を酌み交わし・・・「11月の勉強会までお互い頑張りましょう!」と言って翌日解散しました。
最近、いろいろな友人たちと話をするのですが、その時のテーマはいつも同じです。
「気のいい、裏のない、自分と感性の合う・・・ほっとするような人達と関わっていきたいよね!」ってこと。
裏のない・・・というとなかなか難しいかも知れませんね。 他人によっていろいろ見方も違うでしょうし、誰もが多面的な要素を持ち合わせてはいます。 でも、それはさて置いてどうせ自分の貴重な時間を使うなら、やっぱり心地いい時間を過ごした方が良いと思いませんか?!
あらあら~・・・一体このコラムで何が言いたかったのか・・・。一先ず感謝!でしょうか(^^)!
朝晩涼しくなり、少しずつ秋の気配を感じるようになりましたね。
ところで、私がヨチヨチ歩きの時から、ずっと親戚付き合いをして下さっていた方が、先日お亡くなりになりました。
ある日急にお加減が悪くなり、末期癌と宣告され、半年ほどで旅立たれてしまいました。
訃報を聞いて駆けつけた時、奥様が「ゆりちゃん、あったかい身体に触れられなくなるって淋しい事だね~・・・。」と、しみじみおっしゃいました。
私は、仕事柄大事な患者さんが重い病気に罹った時、獣医として飼い主さまと一緒にその子の命が尽きるところまで治療させて頂く場面が何度かありました。
そしてその動物の最期の時を迎えた時の飼い主さまの深い深い悲しみを何度も見て来ました。
対象が人だろうと動物だろうと、もう二度とその温かい身体に触れられないということは、本当に寂しい事だと思います。
ムサシ(病院の供血犬として我が家で飼っていた犬)が死んでもうすぐ2年になりますが、「ムサシがいつも私達を見守ってくれている!」という感覚は常にあるのですが、やはり「直接ムサシに触れたいな~・・・」と今でも思うことがあります。
大型犬でしたので、喜びすぎると私の顔に彼の顔が当たって、ものすごく痛かったんですけどね・・・・。
先日テレビでアイボ君というロボット犬の事が放映されていました。
アイボ君は人の動作に反応する様に上手く作ってあるので、本物の犬に近い行動もするそうなんですね。
それで彼らに癒された人は沢山いた様でした。
でも・・・やっぱり違う気がします。
温かい身体に触れる時、手間はかかってもその動物のお世話をし、そして共に生き、一見言葉はないようでもしっかりと会話をし・・・それはロボットが代用出来るものではないように思います。
そして何より温かい・・・。
「愛知県獣医師会の学校動物飼育支援委員会」が企画する「ふれあい学級」に、去年から私は獣医として参加してますが、この6月に 阿久比町の英比小学校に行った時、1年の生徒全員にウサギを抱っこしてもらい、心臓の音を聴診器で聴いてもらいました。
ある女の子がその小さなウサギを抱いた瞬間、「わぁ~~!すごくあったか~い(^-^)!」と嬉しそうに言った時の笑顔がいまでも忘れられません。
ロボットの果たす役割はあるかも知れませんが、私達は生きている限り、命がある限り、その身体は温かいわけであり・・・やはり人と人、人と動物がこうして繋がっているっていうことは本当に素晴らしくて有難いことだと思います。