『父の死・・魂の殺人①』
私の父が先日(2月8日)他界しました。
結婚して、三人の子供を持った時、孫達を可愛がる父を見て、ふっと「私は父が死んだ時に果たして泣くんだろうか・・・。」と思った事がありました。
別れ方が良かったのか、父が死ぬ最後の3日間で私たち親子の絆を深めることができたので、その心配をよそに、普通の娘の様に涙がこぼれました。
とは言え、一見平和そうに見える家庭でもいろいろな問題を抱えていることがあるように、私の実家も私達兄弟と両親との関係は、特殊なものでした。
昭和5年生まれの父は、厳格な家に育ち自分の父親(私の祖父)が群馬のある村の名士だったこともあり、小学6年生というまだ幼い頃に父親の命令で、『満州の開拓団の少年兵(満蒙開拓義勇軍)』として、満州(中国)にうんもすんもなく強引に行かされました。そして極寒の満州で2年間苦労した後、終戦になって命からがら帰国したのでした。
その後、お嬢さん育ちの母と出逢い、長野を転々としてやがて愛知に来てからは、満州関係の先輩である獣医師の田代昇一氏に励まして頂きながら、ここ愛知で牛の獣医として開業したのでした。
なので、私が幼少の頃「お父ちゃんはな~、小さい頃苦労したんだぞ~。」という言葉と、父が仕事で疲れて帰ってきたところに無邪気な私達子供を見ると腹立たしかったのか、「一体誰のお陰でおまんまが食えると思ってんだ~!」というこの二つが父の口癖でした。
ただ、私が4歳の時に弟が未熟児一歩手前で産まれて来たんですが、痩せてひ弱のみならず酷いアトピーだった為、そんな弟を見る度に満州から引き揚げた時、痩せこけた子供達の事を思い出すようで、いつも私は「お前は〇〇〇のお姉ちゃんなんだから、弟をかばってやらなくちゃダメなんだぞ!!」と言われ続けて育ちました。
成績の良い我が家のスターだった兄と身体の弱い弟の間にはさまった私は、三人兄弟の例えで真ん中の子供がよく言われているように、「真ん中のボタンは外れても気づかない」存在だったのと、基本的に身体は頑強・脳天気で何の心配も期待もなかった私は、両親の目にはなかなか留まらなかったようです。
それで後で考えると、両親の愛が欲しかったんでしょうね~・・。
中三の春のとある日、母に「お兄ちゃんが落ちた〇〇高校に絶対に行きなさい!」と言われたので、それをきっかけに、犬の散歩と食事入浴以外は机に向かう、超ガリ勉になりました。
それは母の希望ではなくて、そこの高校に行けば父が喜ぶと母が判断して、私にそう言っただけのことなんですけどね・・・。そしてその時私は摂食障害になりました。
ですが、日本の学生が幼少の頃から塾通いで頑張ってきて、良い大学に入った途端目的を失ってしまうのと同じように、寝食も忘れて受験勉強にのめり込んでいだ私は、中三の二学期が終わると急に勉強が嫌になり、その気持ちをコントロールできずに勉強を止めてしまい、三学期には学校さえもさぼるようになりました。
ところが「ゆり子が学校に行かないのは、母親であるお前のせいだ!」と、目の前で父が母を殴る蹴るをしだしたので、学校に行かないわけにはいかず、最後のひと月だけ学校に行きました。
4月からの勉強のストックがあったので、少しレベルを下げて高校には行くことが出来ました。
あかんわ・・・長くなってしまいましたね。動物ネタでなくてごめんなさいです。
最近は昼間暖かくなってきて、その分寒暖の差が激しくなりました。
動物さんも皆様も、どうぞ体調管理をしっかりなさって下さいね!
こういう時は、『お灸』と『気功』がお勧めですよ~!!
但し、動物さんの施灸やご自身を施灸する場合は、背中や腰など場所によっては普通のもぐさのお灸や「せんねん灸」だとやりにくいので、棒灸ストッパーを使った棒灸の施灸がお勧めです。
それではごきげんよう~(*^_^*)☆彡