病院名を変えます・・その2・一期一会
前回のコラムで「なんて自然は私達人間に寛大なんだろう~!」と書いたばかりでしたが、その後でこんな大きな地震が起きてしまい・・・これだけ科学が進歩していても、大地震に太刀打ちできない人間の無力さを実感しています。
亡くなった方々のご冥福をお祈りすると共に、お怪我された方、避難所にいらっしゃる方々のご快復と一日も早い復興を願って止みません。
早急にできる手段を見つけて、支援させて頂きたいと思います。
病院の方にも『支援金募金箱』を設置しますので、ご協力の程お願い申し上げますm(_ _)m。
さて、病院名を変えてからもう直ぐ2週間になります。
皆様にはご迷惑をお掛けしておりますが、お陰さまで少しずつ落ち着きを取り戻しつつあります。
実は私は小学校一年生の時からどうしてもある仕事に就きたくて、その夢をずっと温めていました。
ところが、高2の時に父の反対に合ってその夢を断念せざるを得なくなり、獣医の大学に進みました。
ですので、大学時代の私は見かけは毎日剣道で汗を流すバリバリ元気な学生でしたが、心の底では暗~い学生生活を送っていました。「果たしてこの道は私の進むべき道だったんだろうか・・。」と思って何度退学しようと思ったか分かりません。
ですが、開業してから思った以上に大変な仕事だと実感しつつもここまで来れたのは、ご来院下さる方々や助けて下さった方々のお陰と共に「私達がやっている事が動物達や飼い主さまのお役に立ってるかも知れない。」という充足感があったからだと思います。
基本的に飽き症で剣道以外何一つとして続けられなかった私が、今日まで獣医を続けて来れたのは、やはりこの仕事が好きだったからなんでしょうね・・。
ところで、前回のコラムでもお書きした通り、看板と病院名を変える構想は、数年前からあったのですが、忙しかった事とタイミングが掴めなかったということもあり、時間ばかりが過ぎていました。
そんな折、名古屋に住んでいる大学時代の友達とお茶をした時「ゆりちゃんさぁ、犬猫に鍼刺すなんてこと、普通の人は知らんよ!そんなん知名度低すぎるわ・・・。そいでもって阿久比でしょ?!名古屋に出てこりゃ~!名古屋に!!」と言われました。(そういうあんただって、結婚するまでは知多市の片田舎に住んでたくせに~・・。と思いましたが・・(笑)。)
それまでの間、名古屋に病院を出すなんて発想はこれっぽっちもなかったのですが、彼女の一言で「よし!名古屋に出よう!!」と決心しました。それは去年の9月のことです。
そしてその流れの中で、「今年分院を名古屋に出すから、そのついでに今の病院のロゴと病院名も一緒に変えよう!」ということになりました。
動物たちに針を打ちながら、飼い主さまのお話をお伺いしていると「‟順風満帆”に見える様で、誰もがいろんなものを抱えながら、生きてるんだな~・・。」と思います。
かく言う私もいろんな事がありました。
でも後で考えると、その時は振り回されているようで、実は無意識のうちに自分でそれを選んでいた事に気づいたんですね・・・。
そうやって考えると、今ある状態は誰のせいでもない、どれも自分が選んだ結果なんだと思ったんです。
そしてそのことに気づいた今だからこそ、「親や伴侶の期待に応える為に生きるのではなく、自分のミッションの為に生きよう!」と思って前に進むことを決断しました。
少し話は飛躍しているかも知れませんが、そういう発想から病院名を変えたり分院を出すことに至りました。
私自身まだまだ未熟者ですし、名古屋に分院を出すことも一抹の不安はありますが、これからも皆様のお役に立てる様、スタッフ共々一層努力していきたいと思いますので、こらからも『リリー動物病院』をよろしくお願い致します。
鍼灸(中医学)を教えて下さった山内先生・西依先生、その他の先生方、そしてこの事(何もかもが自分の選択であること。そして自分のミッションを遂行しつつ自分の人生を生きるべきだということ。)に気づかせて下さった林佐保子さんとジェームス・スキナー氏に心から感謝しています。