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犬・猫・ペットの治療と予防│リリー動物病院

父の教え

 私達父子はとっても屈折した関係だったと思います。
 父はそう思ってはいなかったと思いますが、私は昔から父があまり好きではありませんでした。

 忘れもしない、私が小学校三年の時、母の実家に、母と兄、私、弟で行った時、当時は犬が放し飼いでありまして、私の愛犬チロが留守中に居なくなってしまいました。

 一応父が仕事の合間に、チロにご飯だけ与えてくれる約束になっておりましたが、私達が帰ってきた時には、チロは私達を捜しに出たのか、行方不明になっておりました。

 それで翌日学校に行く前に保健所(今の動物保護管理センター)へ父に連れられて探しに出かけました。
 道中、「お前達がちゃんと可愛がってないからこういう事になるんだ・・・。今頃もう、チロは保健所で殺されてるぞ!」と私達を戒める為に?そう言ったのでしょうが、可愛がっていたチロが居なくなって、悲しんでいる私の傷口に塩を擦り込まれているようで、悲しいの半分、父が憎いの半分で・・・涙をこらえながら、保健所向かった覚えがあります。

 大学を決める時も、父はどうしても兄や私を獣医にさせたかったようで、「お前は大学に行きたいか?! 獣医の大学に行かなかったら、わしはビタ一文 金を出さんぞ!」と言われ・・・昔から描いていた夢はあったのですが、選択の余地もなく、獣医の道を選ぶ事になりました。
 「本当にこの道は私にあっているのだろうか・・・??」と言う疑問がいつも頭をもたげてきて・・・、暗くて長い学生時代を送ったものです。

 後で考えたら、父は不器用な性格であるのと同時に父自身思春期に満州に行かされて、甘えたい時に親に甘える事も出来なかったのでそういう形でしか私達子供に接する事が出来なかったのでしょうね・・・。

 私の夢も、今思うともっと頑張って主張したら通ったかも知れないのに、諦めてしまった自分にも問題はあったのかも知れません。(かの有名なマチャコさんも厳しい両親の反対を押し切ってお笑いの世界に入ったのですもんね・・・。私の夢はお笑いではなかったのですけどね・・・。)

そんな父も、3年半前のある寒い夜、難産の牛の治療をする直前に、酪農家さんの所で、脳内出血で倒れ、その後一命は取り留めたものの、右半身不随になってしまいました。
 リハビリの甲斐あって、今は母と一緒だったら、お散歩にも出られますし、言語も戻りつつあります。

 ですが、一旦病気になった父は以前の父とは別人の様になってしまいました。
 たまに実家に寄る度に「あ~・・・ゆり子か~・・。いつもありがとうな~! ご苦労さん、お前達のお陰だよ!身体に気をつけるんだよ!」と言ってくれます。
 「あの激しかった父はいずこへ??」と言う感じです。

 そんな訳で、学生時代は選んだのは自分とは言え、私の人生を変えてしまった父を恨んでいた時期もありましたが、今、こうして好きな道に入る事が出来たのも(正しくは仕事をさせて頂いているうちにこの道が好きになった!!ですね。)、後で考えたら父のお陰だと思います。

 今お話した事とは別に、もう一つ父に感謝している「父の教え」があります。
 それは、『水を飲む時は、いつも井戸を掘ってくれた人に感謝して飲みなさい。』と言う言葉です。
 その言葉は、私が社会人になってから父から聞いた様な気がしますが、この言葉は今でも私の大切な言葉として、いつも自分に言い聞かせています。

 こうして、当たり前の様に仕事をさせて頂いていますが、来て下さっている飼い主さまがいらっしゃる。痛い事ばかりされる所なので絶対嫌だろうに我慢してくれる患者さんたち。
 こんな私に協力してくれるスタッフ達。そして素晴らしい先輩や同輩の方々、困った時に話を聞いてくれる友人達、毎晩遅く帰る私を待ってくれている子供達。私の代わりにご飯を作ってくれる夫・・・そして両親・・・などなど本当に有り難いです。

 『本当に、皆さま、心からありがとうございます!』

 そう・・・。
 今となっては人様に感謝をする事を教えてくれたのは、紛れもなく私と馬の合わなかった父でした。
 そういう父に、今感謝しています。(デヘッ! ついでに言わせてもらえば、我が子達には、絶対自分の好きな道を歩ませるぞ!と思える様に、反面教師にもなってくれましたっけ!!)

2009年 6月 22日掲載
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